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「日本赤十字社」 のテレビ露出情報

2月10日、近藤と隊員たちが船に乗り込んだ。船内の診察に付き添っていたDMAT事務局福島復興支援室・小塚浩看護師は、乗客は強いストレスにさらされていると感じていた。実はあした、たまった下水を放出するため船は港を離れ5キロ以上沖合に出なければならなかった。その間、丸1日間は乗客の容体が急変してもすぐには病院へ運べない。しかも薬もまだ行き届いていなかった。この時、近藤の脳裏にはある悲劇が浮かんでいた。2011年東日本大震災、福島第一原発で事故が発生。周辺の住人が避難する中、原発から4.5キロの双葉病院で約230人の入院患者などが取り残された。適切な医療が受けられず50人が亡くなった。DMATは制度上、避難指示区域への出動が認められなかった。近藤は亡くなった人々の無念をずっと思い続けてきた。災害では全員の命を救うことは難しい。しかしできるかぎりの手を尽くし被災者の無念を減らすことが自分たちの使命。近藤は厚労省や自衛隊など他の救援チーム「今は陽性者でなくとも命に危険が迫る人を優先すべき」と主張。近藤の提案を受け船内はPCR検査の作業を一旦停止。自衛隊やDMATなど全ての医師が乗客たちの容体を見極めるため診察に回った。近藤の方針を聞いた阿南と中森はすぐに動きだし大量の入院先を確保。薬剤師たちは日本赤十字社などと協力し薬を急ピッチで用意した。
2月11日(隔離7日目)。離岸まで12時間を切った。前日21人を下船させたが、まだ80人以上対象者が残っていた。近藤が下船作業の要を任せた隊員が鈴木教久。鈴木は医師でも看護師でもない業務調整員という職種。防護服の準備から被害の情報収集まで医療行為以外の全ての業務を担う。もともと鈴木は菅原文太に憧れるトラック運転手だった。転機は24歳の時、生まれた娘に心臓病やダウン症の障害があった。鈴木は娘のそばを離れまいと遠出が必要なトラック運転手をやめた。そして選んだのが病院の事務職だった。それから5年、懸命な治療の末娘の心臓病が安定した頃、鈴木はDMATに参加。以来15年恩返しの思いで被災者のために働いてきた。今やDMATの中心メンバーとなった鈴木。離岸に間に合うよう下船作業に奔走。乗客の病状が急変すれば即座に下船の順番を変え、正確に搬送先の病院へ送り届けるよう神経をとがらせた。午後6時半、救援チームや船の乗組員が力を合わせ104人の下船が完了。2月12日(隔離8日目)。しかし安堵する時間は長くは続かなかった。船内の救援チームで感染が判明、船の感染対策に疑いの目が向けられた。隊員を派遣する病院は激減、陽性者が増え続ける中、交代要員は来なくなった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月11日放送 14:53 - 16:48 テレビ朝日
相棒 season 12こだわりナビ
手軽に献血するためのサービスを紹介。日本赤十字社の献血Web会員サービス「ラブラッド」。血液は人工的に作れず長期保存もできない。患者の命を救うには若い世代など多くの協力が必要。

2024年12月11日放送 0:00 - 0:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
明治時代を代表する浮世絵師、楊洲周延は多くの錦絵を描いた。当時、錦絵はビジュアルメディアで、人々は絵を通して宮中へのイメージを膨らませていったという。美子皇后はかなりの愛煙家で、紫煙をくゆらす間は様々な思いも消えていくという詩を遺している。明治20年、皇后は東京慈恵院の設立に際して総裁に就任し、毎年のように慰問に訪れるなど慈善活動に注力した。赤十字社の設立に[…続きを読む]

2024年12月9日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ(ニュース)
今日、61歳の誕生日を迎えられた皇后雅子さま。午後は誕生日の挨拶のため、上皇ご夫妻を訪ねられた。誕生日に際して、皇后さまは文書で感想を寄せ、冒頭で能登の地震について触れられた。皇后さまの文書を紹介。明るい話題としては、パリオリンピック・パラリンピックの日本勢や、メジャーリーグの大谷翔平の活躍を挙げられた。天皇皇后両陛下が結婚されたのは1993年。今年で31年[…続きを読む]

2024年12月9日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!(ニュース)
今日61歳の誕生日を迎えられた皇后雅子さま。天皇陛下とともに赤坂御用地に集まった人達の祝福に笑顔で手を振られた。皇后さまは誕生日にあたり文書で感想を公表し、能登半島地震やイギリス訪問などこの1年の出来事を振り返られた。皇后さまは天皇陛下とともに3月と4月に能登を訪問。多くの人々が大きな試練に直面していることに心が締め付けられる思いが致しましたと案じられた。6[…続きを読む]

2024年12月9日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
皇后さまは61歳の誕生日を迎え、文書で感想を寄せた。冒頭に綴られていたのは元日に発生した能登半島地震の被災地への思い。両陛下は今年2度にわたり、石川の被災地を訪問。一方、学習院大学を卒業し、日本赤十字社に就職。10月には初の単独地方公務に臨んだ愛子さまについても思いを綴った。2003年に適応障害と診断され、療養を継続中の皇后さま。医師団は「回復の途上にある」[…続きを読む]

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