1921年第2回大会。警察官の前田喜太平は東京・日比谷交差点で警備に当たっていた。元々走ることが好きだった前田は、選手の走り、沿道の盛り上がりに興奮を抑えきれなくなり、走り出したくなるほど魅了された。すると1922年 第3回大会で前田は警察をやめ、日大駅伝部へ。憧れの箱根路を走った。さらに前田は、2・3年生のときも箱根に出場。4年生で出場した第6回大会では、花の2区を走り区間賞の大活躍。卒業後ky講師になり、ランナーの育成の尽力したという。
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