旭川市にある「川村カ子トアイヌ記念館」の館長に24歳の川村晴道さんが就任した。アイヌ記念館ができたのは大正5年。旭川に陸軍第七師団が移されて以降、和人の入植が急速に進んだ時代だった。晴道さんのひいおじいさん、川村イタキシロマさんが、当時、アイヌの仲間や子どもたちが好奇の目で見られる状況を憂いて、自宅の敷地内に民具などを展示したのが始まりだ。以来、館長は100年以上にわたり、晴道さんの家族によって引き継がれてきた。晴道さんは幼い頃からアイヌの伝統行事に慣れ親しんできた。みずからがアイヌであることに悩んだ時期もあるという。中学時代、アイヌの儀式に参加する両親を見た同級生からいじめを受けたこともある。父親で、3代目館長の兼一さんはアイヌ民族の権利回復や文化継承に熱心に取り組んだ。父は家族らしい態度では接しなかったという晴道さん。病魔に冒されながらも毎日黙々と神々に祈りをささげる兼一さんの姿を見て、「記念館を引き継がねばならない」と思ったという。アイヌの歴史や文化、儀式など学ぶことは多い。アイヌの生活に古くから根づく木彫りの技術に取り組んでいるという。師として仰ぐのは同じ旭川市出身の木彫り職人、藤戸幸夫さん。若い人に関心をもってほしいと、小学校で旭川アイヌの歴史・文化を伝えているという。記念館を未来を語り合う場所にしたいと考えている。民具や祭具を中心に展示しているが、旭川アイヌや、彼らが手掛けた作品を展示するコーナーを設けるという。