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「明治天皇」 のテレビ露出情報

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』不朽の名作を数多く残した文豪・夏目漱石。今回の依頼品は漱石が39歳~亡くなる49歳までの間に撮影された写真12点。イギリス留学から帰国し、程なくして居を構えたのが駒込千駄木町の借家。この家の書斎で明治39年3月に撮られた写真。前年デビュー作『吾輩は猫である』を発表。猫を語り手とし、この家を舞台にした作品は大きな話題となった。猫の家とも言われる建物は愛知県犬山市の明治村に移築されている。明治40年9月、漱石は早稲田南町へ転居する。次の住処となった家は漱石山房と呼ばれた。建物の左側が日本顔、右側が洋風の和洋折衷建築。建物の周囲にめぐらされたベランダ式の開道がモダン。漱石は書斎の10畳の板の間に絨毯を敷き、そこに机を据え、創作に没頭した。『文鳥』にこの書斎を思わせる場面が登場する。部屋にこもりがちだった漱石にとって庭の眺めは何よりの癒やしだった。漱石の有名な肖像の2枚。1枚は旧千円札のモデルとなった写真。2枚とも明治天皇の大喪の礼の際に撮影したもの。よく見ると左腕に喪章。首元には黒いネクタイを締めている。さらに不自然なポーズ。実は漱石の右の頬には幼少期に感染した天然痘の後遺症により痘痕が残っていて、それを隠すための顔の向きと言われている。漱石は長年胃潰瘍に苦しんだ。明治43年には療養先の修善寺で吐血し、一時危篤状態に陥ったが、何とか一命を取り留めた。治療にあたった主治医が帰郷するため漱石が開いた送別会で撮られた写真。漱石の妻や子供たちも一緒に写る貴重な写真。その後も痛みに耐えながら創作を続けた漱石だったが、吐血から6年後に力尽きた。臨終直前の漱石の写真。依頼品の写真のほとんどには写真館の台紙が付いており、いくつかの写真には裏書きが。中でも集合写真には医師の送別会の際に撮られたことや写っている人物の名前が詳しく記されており、裏書きと漱石直筆の文字を比べてみると実によく似ている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月31日放送 9:55 - 10:25 テレビ朝日
じゅん散歩(じゅん散歩)
高田純次は星野家住宅を訪れた。1880年明治天皇が巡幸の際に休息した場所で、母屋は江戸時代末期に再建されたと伝わる。管理している星野さんの曽祖父が発酵学を学び昭和10年に富士納豆製造所を創業した。こだわりは富士山の伏流水で作ること。富士納豆ひきわりを試食した高田純次は「なかなか主張するね」などと話した。

2024年10月29日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
皇居東御苑にある皇居三の丸尚蔵館は、皇室から国に寄贈された古代から近代までの貴重な美術工芸品の保存と公開を行っていて、今日から始まる展覧会では明治から昭和初期にかけて皇室が買い上げた絵画や工芸品など25点が公開される。このうち大正2年に開替えた明治天皇を追走する博覧会で天皇御愛玩の品として展示された1対の陶器の花瓶は明治天皇が生前宮殿内に飾っていたという。ま[…続きを読む]

2024年10月17日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDaysベテランバスガイドがご案内!旬のスポットイチ押しツアーin新潟
やってきたのは西蒲区にある「高志の宿 高島屋」。国の登録有形文化財に登録されている建物。旬の食材を使った伝統の日本料理が人気の宿。ロビーは270年前の作りのままで落ち着く空間になっている。明治天皇が北陸を行幸をした際に休憩されたお部屋もある。将棋の八大タイトルの一つ棋聖戦の対局室があり、棋聖戦で対局した騎士の直筆の扇子が飾られている。対局室で宿泊することもで[…続きを読む]

2024年10月14日放送 0:10 - 0:40 NHK総合
レギュラー番組への道(レギュラー番組への道)
斎藤工は小学生時代、通学のため小田急線を利用していたという。南新宿駅は同線の全70駅中、1日の平均乗降者数が最も少ない。参宮橋駅は明治神宮へつながる参道の1つの最寄駅となっている。かつて、郊外からの参拝者に向けた臨時列車が運行。2001年、その後継としてニューイヤーエクスプレス号が誕生したが、コロナ禍以降、終夜運転が取りやめとなった。現在、参宮橋駅には停車し[…続きを読む]

2024年9月27日放送 19:55 - 22:09 テレビ東京
所さんのそこんトコロ開かずの金庫を開けろ!3連発!
5つあるうちの4つの引き出しは空だったが、5つ目の引き出しからは明治39年発酵の「敷島美観」という日本の景色を収めた冊子が入っていた。そして木箱の中は空だった。ただ引き出しの奥にスペースを発見する。

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