3人組でデビューしたポルノグラフィティはそれまでTamaが多くの作曲を担当。デビュー後、本間昭光がプロデュサーとして参加。初期シングルは全て本間昭光の作曲でTamaの作曲は数曲のみだった。デビュー時はヒット曲を生むグループを出すというプロジェクトのもと進んでいた。新藤はどうしても挑戦したいと本間の歌詞に勝たないといけないと思っていたという。
そして2004年にTamaが脱退し、本間のプロデュースからも離れ2010年リリースのアルバム「TRIGGER」からは全て2人の作詞・作曲によるものとなった。スガシカオはヒット性よりライブ性を重視した作りになっていると指摘。岡野は「作曲していない」とコンプレックスに思った時期もあったが、色んな人が聴いてると認識した時に肩の荷が下りた。ヒットソングではなく僕らが出来ることをやろうとライブでパフォーマンスできる曲を作り始めたと語った。
そして2004年にTamaが脱退し、本間のプロデュースからも離れ2010年リリースのアルバム「TRIGGER」からは全て2人の作詞・作曲によるものとなった。スガシカオはヒット性よりライブ性を重視した作りになっていると指摘。岡野は「作曲していない」とコンプレックスに思った時期もあったが、色んな人が聴いてると認識した時に肩の荷が下りた。ヒットソングではなく僕らが出来ることをやろうとライブでパフォーマンスできる曲を作り始めたと語った。