パリパラリンピックに佐賀から挑んだアスリートがいた。車いすテニスの大谷桃子。度重なる逆境に挑み続けてきた不屈のアスリート、パリパラリンピックまでの記録。小学3年からテニスを始め栃木県の作新学院高校に入学。しかし原因不明の病気により歩くことさえできなくなった。車いす生活になって1年半、大谷は佐賀県に移る。西九州大学に入学。車いすテニス選手として再びコートに戻ってきた。パリパラリンピックを直前に控え、大谷は最終調整に入った。トップスピンは去年秋の状態まで戻った。腰の大ケガを乗り越え、パリパラリンピックに挑む。結果はベスト16敗退。