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「東京大会」 のテレビ露出情報

先週、ZIP!が取材したのは、都内で開催されたパラスポーツの体験型イベント「BEYOND STADIUM 2024」。この夏のパリパラリンピックでは、東京大会を上回る14個の金メダルをはじめ、あわせて41個のメダルを獲得した日本。激闘から2か月、無料で参加できるこのイベントには多くの子供たちが訪れ、およそ2500人が参加した。このイベントのアンバサダーを務めている木曜パーソナリティー・鈴木福が、パラスポーツの面白さを伝える。このイベントの大きな魅力は、車いすテニスやゴールボールなど6競技のパラスポーツを実際に体験できること。車いすバスケを体験した子供は「(車いすに乗って)高い場所のゴールすることは、車いすなしでやるより少し難しかったけど、車いすに乗っている感覚がわかった」、陸上の義足を体験した子供は「(面白いところは)プロの選手とできる」と話していた。イベントには多くのパラアスリートが参加して、実際にパラアスリートから直接、楽しみ方を教えてもらえるということで、参加した子供たちにとっても貴重な機会となった。イベント中、50m平泳ぎの金メダルをはじめ、パリパラリンピックで4個のメダルを獲得した“パラ水泳界のエース”鈴木孝幸に鈴木福がインタビュー。この体験型イベントについて、鈴木選手は「いろんなパラスポーツを体験できるので、非常に自分も楽しめましたし、皆さんの顔を見ても楽しんでくださっていて、非常にうれしかった」「単純にパラスポーツを知るというのみならず、他者理解・思いやり・障害者理解・障害者からの健常者理解が深まるきっかけになって素晴らしい」と語った。鈴木選手は最近、“パラスポーツが普及してきた”と感じる部分があるそうで、街中で声をかけられる機会も増えたという。インタビュー後、鈴木選手はトークショーに登場。そこで司会を務めていたのが月曜パーソナリティーの風間俊介で、風間俊介と福さんのZIP!パーソナリティー2人が、そろい踏み。風間さんもパラスポーツの魅力を発信すべく、鈴木選手とパリパラリンピック・ボッチャ混合団体で銅メダルを獲得した遠藤裕美選手から、あわせて1時間、様々な話を聞いていた。風間さんは「パラリンピック、パラスポーツの面白さはどんどん普及している。こうやってみんなが体験できる場がもっと増えたらいい」「(パラスポーツ普及に向けて)ダーツバーってあるじゃないですか。『家族できょう、ボッチャやろう!』っていうふうに、ボッチャバー、ボッチャスタジアムみたいな、お酒を飲んだりしながら楽しんだり気軽にできるといい」と、身近にパラスポーツを楽しめる環境が大切だと語っていた。福さんはボッチャの魅力を肌で体験するため、パリパラリンピックの混合団体で銅メダルを獲得した杉村英孝選手、廣瀬隆喜選手、遠藤裕美選手とともにエキシビションマッチを行った。ボッチャは、赤、青それぞれ6球ずつのボールを、投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、“ジャックボール”と呼ばれる白いボールに、いかに近づけるかを競う。イベントは大盛況で幕を閉じた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年11月12日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
東京オリンピック・パラリンピックのレガシーとしてことし7月にオープンした江東区の広場で地元の子供達による植樹が行われた。今週土曜日にも植樹のイベントが予定されている。

2025年11月6日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!TOP NEWS 解説
2013年の新語・流行語大賞の年間大賞には滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」が選ばれた。

2025年11月3日放送 23:15 - 23:45 テレビ朝日
光一&シゲのSHOWマン!!つい見ちゃう世界でバズった衝撃パフォーマンス一気見SP
東京パラリンピックで披露された腕・肘・手首を巧みに操るタットダンスパフォーマンスで反響を呼んだのは振付師・ダンサーのサデック・ベラバ。そんな彼がSNSに投稿した飛ぶ鳥の変形する隊列を傘で表現したパフォーマンスやジャケットによるパフォーマンスが話題に。

2025年11月3日放送 6:00 - 6:10 NHK総合
ニュース(ニュース)
秋の叙勲は全体で3963人が受章。桐花大綬章は尾辻秀久さんと戸倉三郎さん。旭日大綬章は蒲島郁夫さんら6人。瑞宝大綬章は武藤敏郎さんら3人。旭日中綬章は土屋禮一さんなど。旭日小綬章は永井豪さんなど。叙勲の親授式・伝達式は今月11日から行われる。

2025年11月1日放送 20:55 - 21:00 テレビ東京
生きるを伝える(生きるを伝える)
プロ野球選手を目指していた川嶋さんを病が襲ったのは小学4年生のとき。網膜色素変性症という難病で、大好きな野球もできなくなった。盲学校に通っているときに先生として赴任してきたゴールボールの日本代表監督に世界を目指さないかと声をかけられ、挑戦が始まった。厳しい練習に取り組んだ結果、日本代表として東京パラリンピックの舞台に立った。現在はロスパラリンピックを目指して[…続きを読む]

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