西村康稔前経済産業相は「冒頭、政治団体清和政策研究会の政治資金の問題に関しましてこのような事態を招き国民の皆様の政治不信を招いたこと、清和会の幹部の1人として心よりお詫び申し上げます。」「松本淳一郎事務局長が平成30年~令和4年までの清和会の収支報告書において、清和会の政治資金パーティーにつき所属議員等が集めたノルマ超過分の計約6億8000万円の収入や、議員側に還付したほぼ同額の支出を記載せず収入・支出ともに過小に虚偽記入をして総務大臣に提出をしたという事実により、政治資金規正法違反の罪で東京地方裁判所に起訴されました。この件に関して、私自身けじめをつけるべきとして判断し、昨年12月14日経済産業大臣の職を辞し、検察当局からの求めに応じて捜査に全面的に協力してまいりました。」などと話した。「わたしに関する捜査については1月19日に東京地方検察庁により、捜査を尽くしたうえで処分するという判断をしないことになったと説明が行われており、事件として立件する必要もないとの結論に至ったものと承知をしております。」と述べた。清和会との関係について話し、「唯一幹部として清和会の運営に関わった期間が令和3年10月の岸田内閣発足に伴い、松野博一議員の後任として事務総長に就任したときです。安倍元総理が亡くなった直後の8月まで約10ヶ月間事務総長を務めました。事務総長としての私の役割は、若手議員の委員会などの人事の調整、若手議員の政治活動への支援などであり、清和会の会計については一切関わっておりませんでした。」などと話した。
西村氏は「若手議員の政治活動を支援する主旨から始まったのではないかとされているが、いつから始まったのかは知らない。政治資金パーティー収入の還付にかかる処理は歴代会長と事務局長との間で慣行的に扱ってきたことで幹部が関与することはなかった。収支報告書に記載しないということが長年行われてきたことについてお詫び申し上げます。事務局から各政治団体の収支報告書への記載は不要だとの説明が過去からなされてきたことであとから法令違反だとされ裏金づくりなどの意図はなかったであろう議員に大きな傷を与えてしまったことについて申し訳なく思う。けじめをつけるため昨年経産大臣を辞任した。還付について行わない方向で話し合いが行われていたものの、一部に現金での還付が行われていた。事務総長を退任したため、その後のことは経緯を承知していない。しかし、経済産業大臣となったとはいえ令和4年については還付を行わない方針を徹底すればよかったと反省している。東京地方検察庁で私自身の政治団体収支報告書の記載内容について捜査も行われた。事件として立件されることはなかったが、令和4年までの5年間のうち平成30年に12万円、令和元年に18万円、令和2年に32万円、令和3年に38万円の合計100万円の還付を受けていた。かねてから秘書にノルマ分を売ればいいと言っていたので清和会からの還付金について把握しておらず。収支報告書は適正に提出されているものと認識していた。必要な経費をまかなうために自分自身の政治パーティーを重視してきた。清和会のパーティーも自身のパーティーも同じ方に買っていただいていた。清和会を多く買ってもらうと、自身のパーティーの収入が減ると思い、清和会のパーティーはノルマ通り売ればいいと言っていた。会計責任者の秘書に確認すると還付金を受けていたことがわかった。清和会からの還付金は自身の政治資金の収入として計上していた。清和会からの還付金を含め収入のすべてを収支報告書に記載し、支出状況も収支状況に記載していた。政治団体において清和会からの還付金が所得や裏金となっていたことは一切ない。ただし還付金は寄付として記載すべきだったとの指摘もあり、これにそって収支報告書の訂正を行った。監督責任を強く感じている」などと弁明した。
西村氏は「若手議員の政治活動を支援する主旨から始まったのではないかとされているが、いつから始まったのかは知らない。政治資金パーティー収入の還付にかかる処理は歴代会長と事務局長との間で慣行的に扱ってきたことで幹部が関与することはなかった。収支報告書に記載しないということが長年行われてきたことについてお詫び申し上げます。事務局から各政治団体の収支報告書への記載は不要だとの説明が過去からなされてきたことであとから法令違反だとされ裏金づくりなどの意図はなかったであろう議員に大きな傷を与えてしまったことについて申し訳なく思う。けじめをつけるため昨年経産大臣を辞任した。還付について行わない方向で話し合いが行われていたものの、一部に現金での還付が行われていた。事務総長を退任したため、その後のことは経緯を承知していない。しかし、経済産業大臣となったとはいえ令和4年については還付を行わない方針を徹底すればよかったと反省している。東京地方検察庁で私自身の政治団体収支報告書の記載内容について捜査も行われた。事件として立件されることはなかったが、令和4年までの5年間のうち平成30年に12万円、令和元年に18万円、令和2年に32万円、令和3年に38万円の合計100万円の還付を受けていた。かねてから秘書にノルマ分を売ればいいと言っていたので清和会からの還付金について把握しておらず。収支報告書は適正に提出されているものと認識していた。必要な経費をまかなうために自分自身の政治パーティーを重視してきた。清和会のパーティーも自身のパーティーも同じ方に買っていただいていた。清和会を多く買ってもらうと、自身のパーティーの収入が減ると思い、清和会のパーティーはノルマ通り売ればいいと言っていた。会計責任者の秘書に確認すると還付金を受けていたことがわかった。清和会からの還付金は自身の政治資金の収入として計上していた。清和会からの還付金を含め収入のすべてを収支報告書に記載し、支出状況も収支状況に記載していた。政治団体において清和会からの還付金が所得や裏金となっていたことは一切ない。ただし還付金は寄付として記載すべきだったとの指摘もあり、これにそって収支報告書の訂正を行った。監督責任を強く感じている」などと弁明した。