TVでた蔵トップ>> キーワード

「東京大学」 のテレビ露出情報

自由民主党・上月りょうすけ氏の政見放送。上月氏は「茨城県副知事などの経験を活かし参議院議員として2期12年間。茨城のため日本のためひたすらに走り続けてまいりました。これもご支援いただいている皆さまのおかげです。参議院議員として農林水産政務官、経済産業副大臣。そして様々な仕事を経験させていただきました。物価高の今、皆さんの暮らしを守ること、医療福祉、子ども子育て国際問題、そして地域経済への対応。茨城の未来、日本の未来を作る。その歩みを決して止めてはなりません。経産副大臣として厳しい国際交渉を目の当たりにしたのはバラバラな世界だった。その中で我が国はどのように行動すべきか。私はかすがいになることこそ日本の役割だと感じます。そのためには国力が必要です。それも科学技術や経済の力だけではない。文化、芸術、武道。そして和食や地域の持つ深さ、多様性を大切に、深く総合的な国力を持つ強く優しい国造りに邁進してまいります。日本が培ってきたものづくりに加え、観光、インバウンド、農産物輸出など外の力を活用することもとても重要です。また私は民間取り引きに加え、公共発注の適正化にいま懸命に取り組んでいます。奥の中小・小規模企業が長年苦しんできた。また公定価格である診療報酬や介護報酬の的確な引き上げが必須。中小・小規模企業はエッセンシャルワーカーを支え、地域を支えてまいります。農林水産業は国民生活のベースとなる大切な産業。人で不足や資材高、価格転嫁などの課題を克服してまいります。農地の大区画化等の基盤整備を集中的に進め、スマート化などを促進します。またコメの安定供給を図ってまいります。稼げる農林水産省を目指す。赤ちゃんからお年寄りまでそしてどの地域でも医療や福祉が行き渡らないといけない、子育てに優しい社会を作ってまいります。この困難な時代に必要なのはつながりです。人、地域、産業、離れていたものがつながることで大きな飛躍が生まれます。そして、情熱も重要。今回の参議院選挙は暮らしに重要な意味を持ちます」など述べた。上月りょうすけ氏は昭和37年生まれ、東京大学法学部を卒業し自治省へ入省、内閣官房や総理官邸での勤務。茨城県総務部長、副知事を経て、平成25年に参議院選挙で初当選、現在2期目。前自民党農林部会長。中高時代は柔道部、大学時代はアーチェリー部で主将を務めた。座右の銘は「全てのことを全力で!!」。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月8日放送 14:05 - 14:27 NHK総合
参議院選挙区選出議員候補者 経歴・政見放送(参議院選挙区選出議員候補者 経歴・政見放送 東京都選挙区)
山尾しおり氏の政見放送。東京大学を卒業し検察官や衆院議員などを歴任してきた。皇室や憲法・日本のあり方を議論することを目指していく、国の行方は国民を通して合意していく必要があると言及。皇室をめぐっては政治権力から離れたところから日本を静かに守っているが、万が一皇位が途絶えてしまえば総理を任命することもできなくなるが、男性の天皇にしか継承を認めない現行制度では世[…続きを読む]

2025年7月7日放送 22:00 - 23:00 日本テレビ
月曜から夜ふかし月曜から夜ふかし
蒲田の駅前にいた男性の願い事は宝くじがあたってほしいと答えたが貧しい人に大盤振る舞いがしたいという。次に沖縄出身の女性の願い事はカニになりたいだったが飼育していたカニがベランダから落ちて死んでしまったという。次に池袋にいた男性は今年の七夕は令和7年7月7日とスリーセブンの日。パチンコ店では勝てる可能性の高い台を揃えイベントをしている。男性たちはそのパチンコに[…続きを読む]

2025年7月6日放送 13:05 - 13:45 NHK総合
首都圏いちオシ!中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線SP 下町編
田端駅、駅前のいちオシは田端文士村記念館。明治から大正にかけて、東京藝術大学や東京大学の関係者が暮らすようになったことから田端は芸術家の街として知られるようになった。芥川龍之介は学生の頃から亡くなるまでこの街で暮らした。当時の貴重な映像もこの施設で観ることができる。

2025年7月6日放送 12:00 - 12:54 テレビ東京
選挙サテライト2025(選挙サテライト2025)
財務省のデモについて伊沢は「組織を崩す論点の絞り方は単純化が過ぎる。一方で官僚組織と政治家は適度な緊張感と距離を保つべき。」などと指摘。豊島アナは「日本は伝統的に減税より給付方式を取ってきた。財務省が予算編成に関わっているのは確かだが、最終的には国会議員が予算を承認する。そのあたりも意識して票を投じる必要があるかもしれない。」などとコメントした。
参院選の[…続きを読む]

2025年7月5日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
1941年に実業家の息子として生まれた伊東豊雄。東京大学の建築学科を卒業後にメタボリズムの理論派で独創的な建築を数多く残した菊竹清訓の元で学んだ。1970年に30歳で事務所独立。住宅のシルバーハットの斬新な設計で日本建築学会賞を受賞。八代市立博物館をかわきりに公共建築の設計も行った。しかし失意に落とす出来事は、自分の設計した建物に向かうためにタクシーに乗って[…続きを読む]

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.