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「東京大空襲」 のテレビ露出情報

東京墨田区の病院、去年始めて撮影された部屋はススで覆われた壁や天井、80年前の東京大空襲で焼かれ、黒焦げのままで残されていた。1945年3月10日の東京大空襲、1600トン超の焼夷弾で街は炎に包まれた。一晩で約10万人が死亡した。豊田照夫さんは、当時の様子を絵に描いた。ビルから吹き出す炎、豊田さんはまだ9歳だったが1人で地下室に避難した。その後駆けつけた母親と一緒に逃げるも、火に囲まれてしまった。当初母親が家に残った理由とは。”火を消さなければならない”と法律で決まっていた時代、当時は防空法を広めるためのポスターがあったという。逃げることを禁じ、消火活動は義務づけられていて罰則まであった。専門家は、防空法は「市民を戦争に参加させる目的」で作られたという。”焼夷弾は簡単に消せる”と盛んに伝えられた。
投下される焼夷弾、米軍の実験映像には焼夷弾の中にゼリー状のガソリンが入っていて、火が付くと消えづらい様子が映っていた。ガソリンが飛び散り、再現された日本家屋にへばり付き燃え続けた。当時中学生だった小林暢夫さんは、焼夷弾の火を必死に消そうとしたが防空演習とは違い”油の火の玉”だったがゆえに、何をしても消えなかったという。当時の消し方でガソリンの火は消えるのか、専門家監修の元実験を行ったが火を消し切ることはできなかった。”消えない炎”を消そうとした理由は、防空法以外にも「隣組」の意識があったという。「隣組」が生んだ同調圧力により、人々は逃げなかったと専門家は話す。市民同士が監視し合う状況に、逃げられなかったのではなく、逃げなかった。終戦間際にはそこに抗う人も現れたという。約450人が亡くなった、八王子空襲。橋を渡って逃げたという尾股重利さん、火を消せと行く手を阻む人たちに向かって父親が日本刀を振りかざし逃げたという。命を繋いだのは、周りの目を振り切る勇気だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月11日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
10万人が犠牲になった東京大空襲から80年。幼い頃に経験した二瓶さんは88歳。経験を証言する活動に限界を感じ、頼ったのは高校教諭の上田さん。二瓶さんから経験を聞き取り、それを語り継ぐ時に「わたし」という一人称を使う。自分事として理解してもらうための取り組み。

2025年3月11日放送 4:00 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
東京大空襲で空襲が始まっても家に残った人がいた。去年東京・墨田区にある病院の一室が初めて撮影された。80年前の東京大空襲で焼かれ黒焦げのまま残されていた。1945年3月10日東京大空襲。1600トン超の焼夷弾で東京は炎に包まれた。焼夷弾の火を消すことは防空法という法律で決められていた。逃げることを禁じる消火活動は義務。火を消そうとした背景に「隣組」。助け合い[…続きを読む]

2025年3月11日放送 0:40 - 1:10 テレビ東京
なつカルマの「人生に訊け!」我が人生一番のパンチライン人生の先輩たちにひたすら人生訓を訊く番組
92歳のクロダトシオさんは人生で一番美味しかった飯に東京大空襲で家が焼かれたが焼け跡の焼けぼっくいの炭でご飯を炊いて食べたがそのご飯が美味しかったという。生きて食べられるだけで人生は幸せだと答えた。

2025年3月10日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション戦後80年 記憶が歴史になる前に
終戦から80年。3月10日は東京大空襲により10万人近くが命を落とした日。木造住宅が密集する下町はほとんどが焼き尽くされた。その後開発が進んだ東京。いまも空襲の痕跡をとどめる所がある。江戸川区役所旧文書庫。日本各地を狙った米軍の空襲で猛威を振るった火災を起こす焼夷弾。東京大空襲では27万戸の建物が燃え、10万人近くが死亡。清澄庭園には80年前のきょう、炎に追[…続きを読む]

2025年3月10日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
東京大空襲から80年。80年前のきょう3月10日に襲った東京大空襲は、アメリカ軍の爆撃機が下町の大部分を焼き尽くし、およそ10万人が亡くなったとされる。墨田区にある東京都慰霊堂では秋篠宮ご夫妻も参列されて慰霊の法要が行われた。東京都の小池知事や遺族の代表などおよそ160人が焼香し、犠牲になった人たちを追悼した。慰霊堂にはその後の空襲も含めた10万を超える犠牲[…続きを読む]

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