認知症医療の第一人者として知られる精神科医の長谷川和夫さんは晩年自らも認知症になったことを公表し当事者としての言葉を発信した。長谷川さんは認知症の疑いがあるかどうかを調べる検査を開発し、その後改定されたこの検査は今も診療の現場で使用される。また病名を痴ほうから認知症に変更することを提唱しに認知症のケアや啓発活動にも取り組んだ。昭和4年に愛知県で生まれた長谷川さんは東京慈恵会医科大学を卒業し精神科医になり40代で認知症を専門にする。長谷川さんは診断のものさしを作るために患者の調査をした。それをもとに記憶力などをテストする長谷川式簡易知能評価スケールを発表した。質問項目を絞って結果を点数化して誰がやってもほぼ同様の結果が出る客観的なものに。平成15年には厚生労働省の検討会の委員として病名を認知症へ。患者本人の目線に立って行うケアの普及にも務めた。人の心に寄り添う大切さを教えてくれた患者は岩切健さん。長谷川さんはその患者の悲痛な想いに診療を続けようと決意したという。
長谷川さんは2認知症になっても周囲の支援仕方次第で暮らしやすい社会を作ることは可能だという。さらに自ら認知症になったと公表したのは平成9年。88歳の時だった。長谷川さんはこの当事者の思いを忘れないようにと日記をつけていた。長年認知症と向き合ってきたが患者になって想像以上の不安に襲われたという。しかし新たな気付きにはこれまでと同じように暮らせる瞬間があるという。長谷川さんはその後講演をするなど認知症への理解を広める活動をした。実際に起きた出来事をモチーフにし絵本の原作を手掛けた。
長谷川さんは2認知症になっても周囲の支援仕方次第で暮らしやすい社会を作ることは可能だという。さらに自ら認知症になったと公表したのは平成9年。88歳の時だった。長谷川さんはこの当事者の思いを忘れないようにと日記をつけていた。長年認知症と向き合ってきたが患者になって想像以上の不安に襲われたという。しかし新たな気付きにはこれまでと同じように暮らせる瞬間があるという。長谷川さんはその後講演をするなど認知症への理解を広める活動をした。実際に起きた出来事をモチーフにし絵本の原作を手掛けた。