依頼者・嶋田由紀子さんの母方の先祖・後藤家は明治時代にカナダへ渡った。家は登米市の山間にある米川エリアにあった。災害が多いエリアで、助け合わないと生きていけず住民同士の繋がりが強かった。主は曽祖父にあたる吉治。人との垣根を作らない性格だった。カナダに渡ったのはその長男・金平。当時は国が渡航者を管理しており、許可を取れず密航した。災害にあえぐ地域の同志83人が同行。
依頼者・嶋田由紀子さんの母方の先祖・後藤家の長男・金平は明治時代にカナダへ渡った。密航で54日かけてバンクーバーに上陸。鉄道工事の現場で一定期間働くことで滞在を許可され、当時建設中だった大陸横断鉄道の建設という危険な重労働に従事した。裕福な家に住み込んで雑用などをするハウスボーイも経験。当時の手記には「言いしれぬ悲しい思いが迫ってくる」と綴られている。このころアジア人移民への排斥運動が激化していて、初めて人間同士の分断を経験する。その後は保険外交員となり、現地の日系人向けの営業で業績をあげ収入も増加。子どもも授かり渡航から20年で生活が落ち着いた。
依頼者・嶋田由紀子さんの母方の先祖・後藤家の長男・金平は明治時代にカナダへ渡った。太平洋戦争のころは敵性外国人とみなされ、財産を没収され強制収容される。各地から集められた日系人が監視下で生活した。終戦後は東部ハミルトンに移住。日系人が少ない街で戦前と同じく保険外交員となり、自宅に招いて地元の酒や和食を振る舞うなどして関係を築いていった。
依頼者・嶋田由紀子さんの母方の先祖・後藤家の長男・金平は明治時代にカナダへ渡った。密航で54日かけてバンクーバーに上陸。鉄道工事の現場で一定期間働くことで滞在を許可され、当時建設中だった大陸横断鉄道の建設という危険な重労働に従事した。裕福な家に住み込んで雑用などをするハウスボーイも経験。当時の手記には「言いしれぬ悲しい思いが迫ってくる」と綴られている。このころアジア人移民への排斥運動が激化していて、初めて人間同士の分断を経験する。その後は保険外交員となり、現地の日系人向けの営業で業績をあげ収入も増加。子どもも授かり渡航から20年で生活が落ち着いた。
依頼者・嶋田由紀子さんの母方の先祖・後藤家の長男・金平は明治時代にカナダへ渡った。太平洋戦争のころは敵性外国人とみなされ、財産を没収され強制収容される。各地から集められた日系人が監視下で生活した。終戦後は東部ハミルトンに移住。日系人が少ない街で戦前と同じく保険外交員となり、自宅に招いて地元の酒や和食を振る舞うなどして関係を築いていった。
