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「東日本大震災」 のテレビ露出情報

「銚電」と呼ばれ親しまれる銚子電鉄は大正時代に開業し、観光客にも人気の私鉄となっている。約6.4キロを走る銚子電鉄、切符は電車の中で買うのだという。こうした昔から変わらぬ雰囲気も愛される理由だが、沿線住民が減ったことで、経営はいつもギリギリだという。終点の外川駅には大漁旗が飾られ、かつては銚子電鉄で魚を運んでいた。魚の卸問屋の4代目の島田政典さん、銚子であがった魚を全国に卸している。番組と島田さんとの出会いは16年前、故郷の漁業を盛り上げようと奮闘していた。しかし東日本大震災では大きな被害を受け、取引のあった漁師さんたちも廃業してしまったという。家業を続けるか迷い、2年間は立ち上がれなかったと語る島田さん、それでも地元の漁師さんを信じて踏ん張ったという。復活の鍵となったのは「キンメダイ」だったという。島田さんは「自分が諦めが悪いから」と穏やかに語った。
銚子電鉄も幾度となく廃線の危機を乗り越えてきた。老朽化した枕木の交換を国から命じられ、その費用を全国のファンや沿線の住民の寄付で賄った。島田さんもその1人で、銚子電鉄が走っているか走っていないかで風景が違うと話す。そんな島田さんは資料館を作り、銚子電鉄の魅力を伝えようとした。館長は島田さんの母・泰枝さんで、彼女は外川の生き字引だという。銚子電鉄とともに岬の暮らしは続く。銚子電鉄は夕方には子どもたちでいっぱいになる。子どもたちは停車中の電車で車掌さんと話すのが楽しみだという。犬吠駅で販売されるたい焼きは銚子電鉄が赤字をカバーするために47年前に始まり、沿線のソウルフードとなっている。店を切り盛りする山久保さんも銚子電鉄の沿線で育ち、このたい焼きを食べたのだと話す。3年前にたい焼き店は人手不足で休業していたが、それを知った山久保さんが店長を引き受けた。実は山久保さん、障害を持つ人のための施設の運営が本業だという。その作業所ではたい焼きの包み紙のスタンプを押してもらっている。山久保さんは将来、障害を持つ人が店で働ければと考えているという。
島田さんの卸問屋では将来に向けて家庭に向けた商品を扱うようになった。これを取り仕切るのは息子の康貴さん。家業を継ぐために戻ってきたのだという。康貴さんは干物づくりに力を入れている。康貴さんは銚子電鉄がある限り、ウチもありますよ、と力強く語ってくれた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月5日放送 1:28 - 2:28 NHK総合
NHKスペシャル南海トラフ巨大地震 “最悪のシナリオ”にどう備えるか
ドラマのシナリオを監修した福和氏がスタジオで「南海トラフは阪神・淡路大震災と東日本大震災の2つを足したような地震」「東京の超高層ビルはものすごく揺れる」などと解説した。長周期地震動は2月から緊急地震速報の速報対象にも加わった。福和氏は揺れへの備えとして建物の耐震化、家具がない部屋を作るなどを挙げた。昭和では先に1944年東南海地震が起き2年後に南海地震が起き[…続きを読む]

2024年10月3日放送 20:42 - 20:45 NHK総合
#NHK(#NHK)
語り部と学生つなぐNHK福島放送局の取り組みを紹介。「明日をまもるナビ」では東日本大震災と原発事故の語り部をしている小泉良空さんをはじめ10組の語り部たちが対話を行った。福島学院大学の出張授業には小泉さんの他長崎からも語り部がやってきて生徒たちに語った。

2024年10月3日放送 15:10 - 15:55 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(特集)
茨城の観光PRのために生まれた「いばらき若旦那」のデビューまでの道のりに密着した。先週、県の記者会見で観光PRの応援隊として任命された。茨城県内の旅館やホテルで働く13人の若旦那の中から6人が選抜された。懐かしさと親しみやすさをモットーに昭和歌謡ユニットを目指している。夢は紅白出場歌手、純烈の皆さんとの共演。去年、県内の旅館で働くおかみをカードにしたところ全[…続きを読む]

2024年10月3日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本NEWS WEB チェック
県内のホテルや旅館の跡取りなど6人で結成した昭和歌謡をうたう音楽ユニット「いばらき若旦那」を紹介。大井川知事から任命状が手渡された。「いばらき女将カード」が全国で話題を集めた。いばらき若旦那・石川博一のコメント。安達勇人がプロデュース。ダンスレッスンも行う。8月、笠間市の夏祭りでデビュー。

2024年10月2日放送 13:45 - 13:50 テレビ朝日
東京サイト(東京サイト)
「都立北豊島工科高等学校」を紹介。今年度、全国で初めて防災について専門的に学ぶ「都市防災技術科」を設置した。これまで行われてきた機械や電気の授業に加え、重機を運転する実習も行う。東日本大震災の時、都市防災技術科の生徒は2~3歳だっため、当時の記憶はほとんどなかった。そこで、教員が大学院生の時に東京で被災した経験を記した当時の日記を生徒に読んでもらうことから防[…続きを読む]

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