この曲を歌うことを企画したのは市の公募で集まった20歳の若者たち。阪神淡路大震災が発生した平成7年に生まれた曲「しあわせ運べるように」。神戸市の小中学校で配られる教材にも掲載され、30年間歌い継がれている。代表メンバーの一人、形部詩さん。毎年1月17日に追悼行事が行われている公園で話を聞いた。これまで曲を身近に感じ歌い続けてきた形部さんが今回式典で歌うことに葛藤も感じている。形部さんの母親は阪神淡路大震災で被災していて幼いころからその経験を聞き続けてきた。
神戸親和大学准教授・臼井真さんは阪神淡路大震災について「ほとんど家が倒壊し私が住んでいたところも道がなくなった」と話す。臼井准教授は震災当時、小学校の音楽教師だった。目の当たりにした神戸の姿を書き記し曲「しあわせ運べるように」を作った。臼井准教授は「生きたくても生きられなかった6434人の命を思い出しほしい。町がキレイになっても遺族の悲しみが消えることはなく、そういう方がいるということを今一度歌を歌うときには思い返して思いを寄せて欲しい」と話す。
神戸親和大学准教授・臼井真さんは阪神淡路大震災について「ほとんど家が倒壊し私が住んでいたところも道がなくなった」と話す。臼井准教授は震災当時、小学校の音楽教師だった。目の当たりにした神戸の姿を書き記し曲「しあわせ運べるように」を作った。臼井准教授は「生きたくても生きられなかった6434人の命を思い出しほしい。町がキレイになっても遺族の悲しみが消えることはなく、そういう方がいるということを今一度歌を歌うときには思い返して思いを寄せて欲しい」と話す。
住所: 兵庫県神戸市中央区加納町6