感動を届けることが使命とした長嶋茂雄さんの野球人生。1957年立教大学時代に通算8号本塁打で六大学新規記録を達成、翌年巨人に入団し開幕戦は国鉄のエース金田正一との対戦で4打席連続三振となった。モットーは記憶の長嶋、1959年史上初の天覧試合で同点の9回に伝説のサヨナラHRを残し不動の4番サードとして巨人のV9に貢献、子どもたちの憧れとなりプロ野球を盛り上げた。1974年の現役引退では「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言を残した。その年監督に就任し2年目でリーグ優勝、1992年には2回目の監督就任でドラフトで松井秀喜との運命の出会いをする。鍛え上げ愛弟子とともに3回のリーグ優勝と2回の日本一を達成した。アテネ五輪で日本代表監督に就任したが目前で脳梗塞で入院したが翌年東京ドームで回復した姿を見せた。2013年に国民栄誉賞を授賞、愛弟子松井さんとW授賞だった。2014年の映像では後遺症で右半身にまひがある様子だったがリ らね。一度でいいから五輪にでてみたい本当に強い気持ちがあった」と語っていて2021年東京五輪開会式では聖火をあげた。2021年プロ野球界初となる文化勲章受章した。長嶋さんにとって野球とはの質問には「野球とは人生そのもの」と言葉を残していた。