3度の戦いを経ても蔦重の挑戦は続いた。42歳になると全国展開の作戦を打ち立て、新たに書物問屋仲間に加わった。書物問屋仲間に加わると京都や大阪などの書物問屋を通じて広い地域で本を流通させることができる。蔦重は名古屋の版元である永楽屋と手を組んだ。永楽屋のツテで本居宣長との接触を図った。蔦重は宣長の本が学問を求める人のニーズと合致すると考えた。しかし脚気を患った蔦重は48歳でこの世を去った。
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