2025年5月4日放送 1:16 - 2:46 NHK総合

たたかう蔦屋重三郎 いざ!三本勝負

出演者
後藤輝基(フットボールアワー) 山村紅葉 高梨臨 高橋克実 
(オープニング)
たたかう蔦屋重三郎 いざ!三本勝負

蔦屋重三郎の生涯は戦いの連続だった。人生をかけた3つの戦いに迫る。

キーワード
大河ドラマ べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜沢田東江蔦屋重三郎
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

蔦屋重三郎が人生をかけて挑んだ3つの戦いに注目する。スタジオゲストは高橋克実、高梨臨、山村紅葉。高橋は舞台「写楽考」に出たときに蔦屋重三郎を初めて知り、時を経て再び蔦屋重三郎が主人公にドラマに出るということで縁を感じていると話した。山村は、母が経済専門の出版社に「蔦重みたいに手を広げないとだめ」と言って推理小説を出させたことがある、蔦重はアイデアと先見の明があって弾圧にもめげない心を持っていると話した。高梨は、蔦重は商売の才能がすごいと話した。小林教授は、版元は制作にあたって絵師だけでなく彫師や摺師などをコーディネートして書籍を作る仕事でもある、浮世絵も同じように制作して出版できるということで本と浮世絵を両方手掛けることになると解説した。

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(たたかう蔦屋重三郎 いざ!三本勝負)
一本目 ガイドブックのたたかい

1本目は「ガイドブックのたたかい」。吉原に生まれた蔦重は、遊女などに本を貸す貸本屋を始め、やがて本屋となった。蔦重が目をつけた吉原細見は吉原のガイドブックで、大手版元の鱗形屋孫兵衛が一手に担ってきた。鱗形屋は他の店とのトラブルに見舞われ吉原細見の出版ができなくなり、蔦重は吉原を代表する出版物を売り出すチャンスと既存の細見を打ち破る戦いに挑む。蔦重版「新吉原細見 籬乃花」は二段構えになっており、通りを挟んで上下に遊女屋が並ぶようレイアウトを変えた。佐藤教授は、町の構造を知るには便利な構成と話した。二段構えにしたことで1ページの情報量が2倍になった結果、本の厚みが半分になった。鈴木教授は、紙を大幅に削減して安く小売りをすることができたと話した。蔦重は吉原に続くメインストリートに店を構えた。生まれたときから吉原にいる蔦重は吉原エリアで知られていたため、流通を独占していった。国際浮世絵学会の田辺さんは、人に聞かなくても行ける良さが細見のヒットにつながったと話した。蔦重が初めて出版した一目千本は、花の名前に加えて遊女屋と遊女の名前が入っている。遊女が実際に活けた花を特集した本と考えられている。小林教授は、上品な文化的な版元というイメージ戦略をしようとしていたことを伺わせると話した。ガイドブックのたたかいは蔦重の勝ちとなった。

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江戸が驚いた蔦重の傑作

蔦重が江戸の読者を驚かせた傑作を紹介。画本虫撰は、狂歌と絵を一緒に載せており狂歌絵本と呼ばれる。駆け出しだった喜多川歌麿が絵を描いており、歌麿は蔦重が見出した秘蔵っ子だった。光るトンボの羽根は雲母の粉を使った雲母摺という技法。とうもろこしはひと粒ずつデコボコと盛り上がっていた。浮世絵研究家の浅野さんは、徹底的にリアルに描く執念がある、最高級の彫師、摺師を動員して制作したのがわかると話した。天明期は田沼意次の政策によって商品経済が発展し、数々の文化が盛んになった。狂歌は一大ブームとなり、蔦重は狂歌の会の参加者たちにお金を払えば本に載せると声をかけた。蔦重は詠み手として狂歌会に参加したり幹事もやっていた。田辺さんは、宴会の席で狂歌を詠み、そこで原稿依頼をしていた、蔦重の人間性から新たな出版物が生まれてくる例。狂歌は、狂名と呼ばれるペンネームを名乗って詠んでいた。「磯野若女」「頭光」など番組セレクトのおもしろ狂名を紹介した。蔦重は安価な黄表紙にも力を入れた。狂歌を通じて人脈を作り、ネットワークを黄表紙などにも活かした。山東京伝の「箱入娘面屋人魚」のあらすじを紹介した。

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二本目 浮世絵 因縁のたたかい

二本目は「浮世絵 因縁のたたかい」。蔦重は34歳で日本橋に店を構える。以前から店を構えていた西村屋与八は蔦重因縁の相手。蔦重26歳のとき、西村屋と共同で「雛形若菜初摸様」を出版。遊女屋のPRのために描かれたこの浮世絵は、入銀という店が遊女の贔屓の客からの出資を受けて出版されていた。蔦重はその資金の交渉を任されていた。しかしその後のシリーズでは、作品に蔦重の印はなかった。ノウハウがわかって西村屋に追い出された蔦重は、吉原のイベント俄を描いた西村屋の浮世絵と同じく俄をテーマにした浮世絵をあえて出版。しかも西村屋の倍の大きさで出した。しかし資金繰りに難航したのか蔦重のシリーズは1年で終了。その9年後、喜多川歌麿とタッグを組んで、親しみやすい街の女性を描いた美人画を夜に出した。西村屋が対抗馬として出してきた鳥文斎栄之。高嶺の花の女性を描き、上品さや豪華さで勝負した。寛政の改革の取り締まりで、蔦重は財産の半分が没収された。浮世絵も統制され、西村屋も思うように出版できなくなった。二本目のたたかいは引き分けとなった。スタジオでは喜多川歌麿と鳥文斎栄之の絵を紹介。歌麿の絵では凹凸だけで模様を出す空摺という技法が使われている作品もあった。

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アダチ伝統木版画技術保存財団喜多川歌麿[初代]国際浮世絵学会大和文華館婦人相学十躰 浮気之相寛政の改革東京国立博物館松平定信歌撰恋之部 物思恋礒田湖龍斎若那初衣装 竹屋哥巻 ふたは みとり蔦屋重三郎西村屋与八雛形若菜初摸様 丁子屋内ひな鶴雛形若菜初模様 山しろや内からはま青楼仁和嘉尽 角町三階の大笠ほこ青樓仁和嘉女藝者部 大万度 荻江 おいよ 竹次鳥居清長鳥文斎栄之
三本目 江戸一番のたたかい

三本目は「江戸一番のたたかい」。蔦重は東洲斎写楽と手を組んで役者絵に打って出た。まず三代目大谷鬼次の江戸兵衛を含む新作を一気に28枚発表した。背景は雲母摺が使われていた。研究家の渡邉さんは、何十枚ものそろい物を一気に出すのはありえないことだった、大赤字になる可能性もある、起死回生の気合を感じると話した。ライバルの和泉家は歌川豊国の役者絵を出した。写楽の大首絵に対して、全身を描いた。鶴屋はネームバリューのある勝川派・勝川春英の役者絵を出した。渡邉さんは、写楽の役者絵は顔のパーツが細かく描かれていると指摘した。さらに蔦重は、9か月で100種類以上の役者絵を出した。他の版元も対抗して多くの役者絵を出し、前年の4倍もの役者絵が出回った。しかし写楽の絵は出版を独占することができず、蔦重は自らその舞台を降りた。江戸一番のたたかいは蔦重の負けとなった。スタジオでは写楽、歌川豊国、勝川春章の絵を比較した。

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三代目大谷鬼次の江戸兵衛三代目市川八百蔵のあげまきの助六二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉勝川春章勝川春英大谷鬼次太田記念美術館役者舞台之姿絵 まさつや東京国立博物館東洲斎写楽歌川豊国瀬川菊之丞特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」蔦屋重三郎
挑み続ける蔦重

3度の戦いを経ても蔦重の挑戦は続いた。42歳になると全国展開の作戦を打ち立て、新たに書物問屋仲間に加わった。書物問屋仲間に加わると京都や大阪などの書物問屋を通じて広い地域で本を流通させることができる。蔦重は名古屋の版元である永楽屋と手を組んだ。永楽屋のツテで本居宣長との接触を図った。蔦重は宣長の本が学問を求める人のニーズと合致すると考えた。しかし脚気を患った蔦重は48歳でこの世を去った。

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中央大学千葉市美術館台東区(東京)本居宣長本居宣長記念館東京国立博物館松阪(三重)脚気蔦屋重三郎誠向山 正法寺
(告知)
特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」

特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」が6月15日まで東京国立博物館平成館で開催中。

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イマーシブシアター 新ジャポニズム ~縄文から浮世絵 そしてアニメへ~

イマーシブシアター 新ジャポニズム ~縄文から浮世絵 そしてアニメへ~の告知。

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イマーシブシアター 新ジャポニズム ~縄文から浮世絵 そしてアニメへ~東京国立博物館

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