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「柴木辰次郎」 のテレビ露出情報

明治26年、中澤家の長女・中澤孝が誕生する。女学校を卒業した才色兼備な女性だった。中澤孝は、開業したばかりの歯科医・安井竹三郎と結婚。後の秀隆の祖父になる。吉岡秀隆は、幼い頃竹三郎と暮らしていた。実は祖父竹三郎はその生涯で3回名前を変えている。吉岡明子は、親戚から託されていた手紙があり、「今の間に渡しが知っていることを言っておきますって教えてくださった」と説明。明子の父の出自である柴木の家は、大阪城に使えていた下級武士の家だったそうで、竹三郎の祖父は柴木辰次郎。柴木辰次郎を調べてみると、辰次郎は明治維新の後、大阪・難波村で酒屋を営んでいた。明治25年、柴木竹三郎は生まれた。戸籍には父の名は記されていない。竹三郎は利発な少年だった。明治38年には竹三郎は安井家の養子になった。学業に優れた竹三郎は旧龍野中学校に入学する。中学校には、当時生徒が竹三郎を評した記録が残されていた。竹三郎は養子先とのおじとの折り合いが悪く、伯父夫婦は新たな養子を迎え入れていた。竹三郎の居場所はなかった。そんな時、さらに寂しさを募らせることがあった。秀隆の母・明子さんは「本当の自分の親を訪ねたときにすごい冷たい仕打ちをされて、もう二度とそこは縁を切ったって言ったらしいんですね」「結婚してまもなく母の方の姓になっているんです」などと説明した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年2月3日放送 15:05 - 16:17 NHK総合
ファミリーヒストリーファミリーヒストリー 吉岡秀隆
竹三郎は独り立ちするための道を模索する。上京し、神田の歯科医の元で修行を始めた。竹三郎が師事したのは当時、社会歯科学の先駆け的存在だった前田慶次。竹三郎は前田の元で学んだのち、単身で北海道・室蘭に渡った。東京歯科大学 平田創一郎教授は、竹三郎が前田医師から大きな栄養を受けていたと推察し、「当時北海道は非常に歯科医師が少ない状況でした」「竹三郎先生安易に ただ[…続きを読む]

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