奈良仏教が浸透していた時代に密教を広めようとした空海。貴族を信者にするためには「供養」の考えを広め、嵯峨天皇を弟子にするためには書物を何度も送るなどした。嵯峨天皇には継承者として認め、「天皇を弟子にしたい」という帰国の目的を完遂させた。当時50歳。高野山を拠点とし、「密教はこの国に欠かせない」とのアピールを続けた。立体曼荼羅などわかりやすい表現も活用。生前最期の言葉は「人々を救済するため 弥勒菩薩と共に再びこの世に現れる」。
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