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「楊洲周延」 のテレビ露出情報

楊洲周延は明治を描き尽くした絵師。天保9年、越後高田藩の江戸詰藩士のもとに生まれ、幼少期は狩野派を学び、その後浮世絵に転向。歌川国芳や豊原国周に師事して腕を磨いた。しかし、戊辰戦争が始まると、高田藩出身の周延も旧幕府軍として参戦。箱館戦争で深手を負って撤退。終戦後はしばらく謹慎生活が続いたが、明治4年に許されると絵師としての活動を再開。西郷隆盛が明治政府に反旗を翻した西南戦争の錦絵は戦場から届く速報のみを頼りに描いたにも関わらず、戊辰戦争での実践経験がいき、真に迫った傑作と称賛された。さらに文明開化によって様変わりした町並みや、庶民の憧れの的となった洋装の貴婦人など新たな世相を色鮮やかに描き、名声を確固たるものとした。「帝国万歳憲法発布略図」は明治という時代を切り取った作品。印刷技術の向上に伴って、浮世絵が衰退していくなか、大正元年に亡くなるまで精力的に作品を手書き続けた周延は最後の浮世絵師とも称されている。お宝は楊洲周延の浮世絵30点をつなぎ合わせた絵巻物。全て明治時代に描かれたもので、どれも大判の錦絵が3枚1組となって一つの作品となっている。いくつかのシリーズが順不同で並べられていて、最多の21点を占めるのが、周延の人気シリーズの一つ千代田之大奥。「千代田」とは江戸城のことで、城内の大奥の様子が色鮮やかに描かれている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月6日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
岡谷繁弘さんの家へ。岡谷家は清和源氏の流れをくむ香丹を始祖とする武士の家系。ニ代清英は戦国時代、深谷上杉氏の筆頭家老として活躍し、上杉謙信から武勇を讃えれた。本拠だった深谷市には、岡谷家が開いたお寺が今も残る。さらに曽祖父は高杉晋作や吉田松陰とも交流していたそうで、明治には「名将言行録」を手掛けた。岡谷さんのお宝は「楊洲周延の浮世絵を繋げた絵巻物2巻」。

2025年4月5日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
幕末の戊辰戦争で上野の森は戦場となった。1868年に彰義隊と新政府軍の激しい戦いの末に寛永寺の本堂を含む多くの建物が焼失。その上野が公園になるきっかけを作ったのはオランダ軍医のアントニウス・ボードワン博士。焼け跡に病院を建設しようとしていた文部省の役人と上野を訪れたボードワン博士はこの場所を公園にするべきとした。洋食を日本に広めた精養軒は政治家達も惚れ込んだ[…続きを読む]

2025年2月25日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
きょうは京都の天橋立を特集。広島の宮島・宮城の松島と並ぶ日本三景として知られ、多くの観光客がやって来ることで知られる。丹後の天橋立は神の力が感じられるスポットとして知られ、天と地との間に神が行き来する浮き橋が倒れたものだと言われてきた。丹後半島の付け根に位置し、江戸時代半ばに諸国の名勝を描いた錦絵が流行ると天橋立も全国へと伝わっていった。今も年に200万人近[…続きを読む]

2024年12月4日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
明治時代を代表する浮世絵師、楊洲周延は多くの錦絵を描いた。当時、錦絵はビジュアルメディアで、人々は絵を通して宮中へのイメージを膨らませていったという。美子皇后はかなりの愛煙家で、紫煙をくゆらす間は様々な思いも消えていくという詩を遺している。明治20年、皇后は東京慈恵院の設立に際して総裁に就任し、毎年のように慰問に訪れるなど慈善活動に注力した。赤十字社の設立に[…続きを読む]

2024年11月29日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング林修のことば検定スマート
きょう11月29日は明治16年に鹿鳴館が開かれた日。明治政府は社交の場として造ったが、日本人が西欧文化を受け入れている様子を外国人にアピールしようとした。当時、日本は欧米諸国と不平等条約を結んでいて、これを是正する交渉が有利に進められるのではと外務大臣の地位にあった井上馨が発案したと言われている。鹿鳴館では連日のように外国のゲストを招き、舞踏会やバザー、演奏[…続きを読む]

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