1992年、当時天皇だった上皇さまが初めて中国を訪問された。外務省がきょう公開された外交文書で、その実現までの日中の事前交渉の舞台裏が明らかになった。1992年2月。中国では尖閣諸島を自国の領土と明記した領海法が制定された。日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と抗議し、自民党内からも中国訪問への反対意見が相次いだ。翌年3月、外務省の小和田事務次官が宮沢首相に「尖閣諸島、賠償問題などの雑音が生じているが過大視すべきではあるまい」などと進言したと文書に記されている。宮沢首相は橋本中国大使に党内・国民に亀裂が生ずる形で実施したくないと慎重な姿勢を示した。こうした中、渡辺外相と銭其琛外相が秘密裏に会談し、訪問実現のための環境を整えていくことで一致した。その後自民党内の反対論は徐々に収まった。北海道大学の城山教授は「中国への抗議より訪中が潰れかねないということを危惧している方が強い」「天皇訪中実現最優先という考え方」などと指摘した。