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「櫛部静二」 のテレビ露出情報

100年の歴史で最多優勝したのが、1964年に6連覇を達成した中央大学。2位が早稲田大学。中でも花の二区を走る早稲田のエースは日本を代表するランナーがズラリ。1991年2区に1年生ながら大抜擢されたのが櫛部静二。増田明美は、途中からどうしちゃったんだろう?フラフラになって低血糖なのかなと見ていたと振り返る。櫛部静二は途中からあるきだしてしまったが、再び走り出す。フラフラになりながらも襷を繋いだ櫛部。この裏には衝撃の事実が。あれから32年、52歳になった櫛部静二に当時の映像を見てもらうと、櫛部は汗が出ますね、うまく言葉では言えない、いい思い出ではないと話す。体が言うことを効かなくなって、低血糖状態、脱水状態になって、襷を届けないと大変なことになる、それ以外ほとんど記憶にない、と振り返った。当時、早稲田大学コーチだった瀬古利彦は、大学1年の時に区間11位で、櫛部に「箱根の失敗は箱根で返すしかない」と声をかけたという。1993年早稲田の1区を任された櫛部。沿道の瀬古コーチは櫛部にエールを送る。櫛部は1区で区間新記録。箱根の失敗を箱根で返した。その後、櫛部静二さんは城西大学の指導者に。就任3年で城西大学を箱根駅伝初出場に導いた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年12月30日放送 18:00 - 20:54 日本テレビ
箱根駅伝 伝説のシーン表と裏箱根駅伝100年分の名場面!
井森美幸はキャプテンの「称えてやりたい」というコメントで次の年も頑張れたのかなと思うと話していた。和田正人は、不思議なもんで沿道の声はうるさいのに親の声だけ絶対届くと語っていた。早稲田大学の櫛部静二について、コーチになって1年目で、絶対リベンジしろ、お前みたいに練習見たことない、とまじないをかけたら走ってくれたと話していた。

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