西本願寺飛雲閣は聚楽第の遺構と言われていたが、移築された年代が聚楽第を取り壊した後だったことから現在は京都新城の遺構と推定されている。しょうけんでん西本願寺飛雲閣は聚楽第の遺構と言われていたが、移築された年代が聚楽第を取り壊した後だったことから現在は京都新城の遺構と推定されている。招賢殿の上段の間には障子が用いられ、差し込む光によって座った人に後光が差すように見える仕掛けになっていた。中井均教授は、天皇を迎えることが秀吉の頭の中にあったと話した。京都新城は、幼い秀頼をどう守っていくかという最晩年の秀吉の悩みに対する備えだった。秀吉は、秀頼の行く末を案じたまま62歳で亡くなった。1615年に豊臣家は滅亡し、京都新城も取り壊された。京都に築かれてきた秀吉の栄華の象徴はすべて姿を消したが、時代を超えて受け継がれてきたものもある。三条大橋の欄干には擬宝珠と呼ばれる秀吉の時代の飾りが今も残されている。京の伝統野菜である堀川ごぼうは、聚楽第が取り壊された後使われなくなった堀で育ったことから聚楽ごぼうとも呼ばれている。
