視聴者の体験した「やさしさ」を紹介した。母を亡くした時に同僚のやさしさを感じたという久美子さんを取材した。年末に母親の異変に気づき救急車を呼んだが、年始から仕事が入っていた久美子さんは同僚にその事を伝えると、正月にも関わらず上司や同僚から何通も優しい言葉のLINEがあった。特に心に響いたのは、同僚が久美子さんの心配をしてくれることだった。5年間母の介護を続けてきた久美子さんだが、職場では弱みを見せていなかったという。同僚や友人からの言葉に支えられ、母親を看取ることができた。母が旅立った翌日、仲間の顔を見て安心したく、職場に行ったところ、心配してくれた先輩がいて嬉しかったなどと久美子さんは話した。
視聴者の体験した「やさしさ」を紹介した。親になって父のやさしさに気付いたというゆきさんを取材した。ゆきさんの父親は寡黙な人であまり会話をした記憶がないというが、幼い頃からずっと父が言っていた「気をつけてね」の言葉があった。自分が親になり子供を育てるようになって、昔は何も感じなかった「気をつけてね」の言葉が、今は父の気持ちが分かるような気がするという。話さなくても心配してくれている父の優しさだったのかなと時を経て日増しに感じるようになってきたなどとゆきさんは話した。
視聴者の体験した「やさしさ」を紹介した。いつも先回りしてくれるママ友のやさしさのエピソードをよせてくれたカヨさんを取材した。東日本大震災の時、当時小学1年生だったカヨさんの息子賢史朗さんは学校から帰宅して1人だった。家は静岡県だったが海から近く、経験したことのない揺れで恐怖を感じたという。地震発生当時、カヨさんは仕事中ですぐには帰れない状況だったが、地震発生から約1時間後、ママ友のヨウコさんから迎えに行ったから心配ないなどの内容が書かれたメールが届いた。真っ先に行動してくれて感謝しているなどとカヨさんは話した。また、10年ほど前に食事や睡眠もとれないほど悩んでいた時期に、ヨウコさんに連絡をしたら返信がなく、病院に連れて行ってくれたという。ヨウコさんの先回りした行動力とやさしさに何度も救われてきたなどとカヨさんは話した。
視聴者の体験した「やさしさ」を紹介した。親になって父のやさしさに気付いたというゆきさんを取材した。ゆきさんの父親は寡黙な人であまり会話をした記憶がないというが、幼い頃からずっと父が言っていた「気をつけてね」の言葉があった。自分が親になり子供を育てるようになって、昔は何も感じなかった「気をつけてね」の言葉が、今は父の気持ちが分かるような気がするという。話さなくても心配してくれている父の優しさだったのかなと時を経て日増しに感じるようになってきたなどとゆきさんは話した。
視聴者の体験した「やさしさ」を紹介した。いつも先回りしてくれるママ友のやさしさのエピソードをよせてくれたカヨさんを取材した。東日本大震災の時、当時小学1年生だったカヨさんの息子賢史朗さんは学校から帰宅して1人だった。家は静岡県だったが海から近く、経験したことのない揺れで恐怖を感じたという。地震発生当時、カヨさんは仕事中ですぐには帰れない状況だったが、地震発生から約1時間後、ママ友のヨウコさんから迎えに行ったから心配ないなどの内容が書かれたメールが届いた。真っ先に行動してくれて感謝しているなどとカヨさんは話した。また、10年ほど前に食事や睡眠もとれないほど悩んでいた時期に、ヨウコさんに連絡をしたら返信がなく、病院に連れて行ってくれたという。ヨウコさんの先回りした行動力とやさしさに何度も救われてきたなどとカヨさんは話した。