コロナ禍で3年前の夏の甲子園に出場する機会が失われた球児たちが企画を立ち上げた。当時、各都道府県で行われた独自大会で優勝した高校のOBなど45校42チームの球児たち約700人が、母校のユニフォームを着て集まった。抽せんで選ばれた4チームが特別ルールで試合を行って交流したほか、参加した全チームが甲子園でノックを行った。発起人の大武優斗さんは「同じ思いを抱いている同世代がいるはず」と考え、募集の結果、大会の運営スタッフは50名以上にのぼった。球場の使用料、旅費など約7000万円を集め、大武さんは「あの夏を経験したからこそ、強くなれた世代になりたい。高校時代に終止符を打ち、次に進めるそんな日になったら」とコメント。応援団はボランティアが担当し、家族も観戦していた。