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「気仙沼市(宮城)」 のテレビ露出情報

東日本大震災で119人が犠牲になった福島県新地町。漁師が住んでいた釣師地区は津波により壊滅。住民らは高台の災害公営住宅に移住。ここに暮らす民俗学者の川島さんは、漁船に乗り込み漁の手伝いをしている。作業は深夜1時から始まる。川島さんの狙いは、現場で漁師らの暮らしや仕事を記録すること。日本中の漁村を調べ尽くしたと自負していたが、震災で考えが一転。震災では交友のあった漁師らのほとんどが犠牲に。地元漁師からの依頼で、様変わりした街の風土などについて書き残すことに。
東日本大震災で119人が犠牲になった福島県新地町で、その風土を書き残そうと活動している民俗学者の川島さん。共に活動する地元漁師・小野さんは原発処理水の放出に反対の立場。この街では海は神聖な場所とされており、それを穢されることに懸念を示している。川島さんは、自身の知見をこの反対活動に活かしたい考え。
東日本大震災で119人が犠牲になった福島県新地町で、その風土を書き残そうと住み込みで活動している民俗学者の川島さん。この街で続く慣習「ユイコ」とは、頼まれなくても町民同士で仕事を手伝い合うこと。川島さんは「厳しい海と向き合う中で育まれた慣習」と指摘する。この慣習は仕事以外の場にも適用。ある日の墓参りで漁師の小野さんは自分や親族以外の墓にも手を合わせていた。
東日本大震災で119人が犠牲になった福島県新地町で、その風土を書き残そうと住み込みで活動している民俗学者の川島さん。大型連休中、川島さんは漁師の小野さんと共に、親族の供養のため四国へお遍路旅。処理水放出からまもなく1年。漁に出ながら反対活動を続ける小野さんのため、川島さんは瀬戸内海の小島を案内。それぞれの街に風習があり漁の仕方も異なることを知ってもらう狙い。
東日本大震災で119人が犠牲になった福島県新地町で、その風土を書き残そうと住み込みで活動している民俗学者の川島さん。この街で続く慣習「ユイコ」とは、頼まれなくても町民同士で仕事を手伝い合うこと。これについて、川島さんは著書で「復興を底支えして後押ししたのは 以前からその地域に伝わっていたユイコなどの社会慣行」と指摘している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月8日放送 16:10 - 17:10 NHK総合
ありがとうを3.11に伝えよう委員会ありがとうを3.11に伝えよう委員会 2025
ありがとう委員会委員長の小野寺幸史さんらが挨拶。会場には気仙沼にゆかりのある20人が集まっている。

2025年3月8日放送 5:30 - 8:00 日本テレビ
ズムサタ週刊!まるごとニュース
2011年3月11日東日本大震災。死者1万5900人、行方不明者2520人。宮城県気仙沼市では最大20m超の津波が押し寄せ死者・行方不明者1434人。震災から14年が経ち復興が進む中、子供たちは当時の記憶がなくても伝え聞いた震災の記憶を次の世代に語り継ぎたいという若い世代が増えている。気仙沼市内で行われていたのは中学生高校生による語り部ガイド。気仙沼市東日本[…続きを読む]

2025年3月8日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
東日本大震災当時、宮城県警本部長だった竹内直人さん。戦後最大の未曾有の地震が発生したあの日、竹内さんのいた県警の庁舎も激しい揺れに襲われた。午後2時49分に大津波警報が発令。午後3時15分には気仙沼市に津波が到達。午後3時半には県庁で一回目の災害対策本部会議が開かれた。県警のトップとして陣頭指揮をとった竹内さん。惨状が報告される中、気仙沼が火の海になったとい[…続きを読む]

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