新しい広島駅ビルに初めて乗り入れた路面電車は今も広島の人たちや観光の人たちや観光客に親しまれている。被爆から2か月後に撮影されたフィルムにも、瓦礫の中を走る路面電車の姿があり被爆からわずか3日後に再開された。広島電鉄元社員の山崎政雄さんは爆心地から2.5km離れた己斐駅で被爆し直後から周辺の様子は一変した。当時市内電車は123両あり、このうち108両が被害を受けて己斐駅には2台停車していた。窓ガラスが割れはしたが、大きな被害はなかったという。懸命な復旧作業が進められ、被爆3日後には己斐~西天満町間が復旧した。その試運転の1番電車のハンドルを握ったのが山崎さんだった。広島電鉄の藤田睦さんは車種の編纂に携わるなど、広島電鉄の歴史に精通している1人である。あの日を経験した電車は4両が現存している。そのうちの1つが1942年に作られた653号である。この650型は大型で輸送量も多く、当時の最新型で大破していても修理されていたという。原爆の被害にあった車両は1948年末ごろにはほぼ修復が終了したという。藤田さんは当時の”同僚”に思いをはせていた。路面電車は復興のシンボルとしてきょうも町を走っている。
住所: 広島県広島市中区江波西1