2015年、沖縄SVを創設しスポーツの産業化の1つとして地域経済の活性化や雇用の創出を託された。だが新たな情熱を向ける場所がなぜ沖縄だったのか。高原は「沖縄における3つ目の産業を創出したい話を受けた。3つの目の産業としてスポーツの産業。やりがいのあるチャレンジになると思った」などと語った。そして社長兼選手兼監督を務めチームは順調に昇格を重ねている。高原は「自分が体感したことで分かった。現状でいうと地域リーグ大変。お金をかけても必ず上がれない。沖縄なので基本は飛行機で移動しなくてはいけない。移動費・宿泊費・遠征費だけでもお金がかかる」などと語った。倶楽部創設7面目でJFLに昇格。2023年は最下位で入れ替え戦へ回った。臨んだ入れ替え戦、高原に変わり入った選手が劇的決勝ゴールをあげ残留を決めた。高原は「監督って本当に大変。本当に向いていない。無理だろうなって。本格的に経営面をやらなくてはいけない」などと語った。