長崎・波佐見町で1945年7月31日にあった「波佐見空襲」。弾が命中し土煙を上げているのは学校の校舎と大きな木と横長の建物。波佐見町の銀杏屋商店は店の横のイチョウの木からその名前がついた。陶器でできた壁には穴が空いており弾丸の痕であった。波佐見空襲では永嶋道子さんが亡くなったが銃撃を受けたのは波佐見高等家政女学校にいた時だった。娘を亡くした父・勇雄さんは日記に思いを綴っていた。豊の国宇佐市塾の織田祐輔さんは基地に戻る途中の「ついで」の攻撃だったと分析している。
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