各地の国立病院などで繰り返されていた戦禍の中絶手術に国はどう関与していたのか。国も人道目的を掲げ手術を主導していた。中絶手術には別の狙いもあった。元福祉相談員の河島さんは当時の上司が国の思惑を語っていたという。一滴も外国人の血は本土に入れまいという合言葉があったという。手術に関わった別の医師も異民族の血に汚れた児の出産を水際でくい止める必要があるとしていた。アメリカでも禁止されていた中絶手術、日本を統治下においていたGHQはどう対応したのか。GHQの幹部だったサムス大佐は生前研究者に中絶手術を容認していたと明かした。終戦後、日本は性暴力や買春などによってアメリア兵の子どもを妊娠する女性が相次ぐ。GHQは検閲によって混血児という言葉を封じ込めた。手術を容認した背景に混血児の問題そのものから目を背けさせる狙いがあったのではないか。手術人数は約2000人もいた。
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