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「海軍飛行予科練習生」 のテレビ露出情報

戦争当時「軍国少女」として戦争を賛美していたという女性が、ある行動によって家族の死を招いたのではないかと自責の念を抱いている。「同じ経験を繰り返してほしくない」と後悔を伝える女性を取材した。92歳の亀谷敏子さんは先月、およそ50人を前にみずからの経験と後悔を語った。彼女は終戦間際の昭和20年、母と6人のきょうだいを空襲で亡くした。この時、自身の行動が家族7人の死を招いたと悔やんでいるという。昭和18年、亀谷さんの兄、俊治は15歳になり海軍飛行予科練習生、通称、予科練を志願した。しかし両親は難色を示した。一方、彼女は学校での軍国主義的な教育に感化され戦争を賛美するようになっていた。兄が予科練の志願書を提出するのをこっそり手伝い入隊の後押しをしたという。こうして実現した兄の予科練入隊が彼女の深い後悔へとつながることになる。戦況が悪化した昭和20年、家族は予定していた東京からの疎開を先延ばしにしていた。予科練から3月ごろ帰省する兄を家で迎えたいと考えていたからだ。しかし3月。東京大空襲で自宅周辺は火の海となった。彼女と父は無事だったが母と5人のきょうだいが犠牲になった。3か月後、茨城県の予科練にいた兄の俊治も17歳の若さで空襲で亡くなった。戦後長い間、亀谷さんはつらい記憶にふたをしてきた。しかし父も亡くなり1人、家族を弔い続けるうちに自分自身の罪を問う気持ちが大きくなっていったという。彼女は「何があっても戦争を肯定してはいけない」というメッセージを次の世代に託したいと思っている。

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