カトリック清水教会の建設を計画したのは明治時代に来日したフランス人のルシアン・ドラエ神父。教会を建てた経験のある職人が見つからなかったことから、船大工を頼った。清水は造船業が盛んで優れた船大工がいたことから、船底のような曲線の美しい天井が生まれた。教会は1935年に完成。戦局の悪化で清水の街も米軍に空爆されたが、教会だけは空襲を免れ、救護所となった。ドラエ神父も日本に留まり、平和への祈りを捧げた。時代を重ねて地元の人々の厚い信仰の場となっていった。現在の場所には新しい聖堂が建てられ、旧カトリック清水教会の建物は今の姿のまま新たな場所に移築される。地元のための文化施設として活用される予定になっている。