幕末、京都御苑には大小140余りの公家、宮家の屋敷があった。公家が御所に参内する際に使った宜秋門の前には腰掛、檜垣茶屋があり、旅人らは公家たちの姿を目に収めた。特別な日、天皇が住まう御所に一般の人々も出入りできたという。京都の中心には多様な人々が行き交う、開けた街が存在していた。1864年、長州藩は御所を目指して攻め上り、会津、薩摩、桑名藩が迎え撃った。この時に発生した火災は京都の街を呑み込んでいき、当時の京都の中心部のほとんどが被災した。さらに大政奉還で都が東京となり、公家や武士、御所に関わる商人たちも京都を去った。明治維新の際、神社とお寺を明確に分ける法律が施行され、清水寺からは鳥居が撤去され、仏像などは寺へ移された。町中にも石仏が設置されていたが、京都府は早々に撤去するようお触れを出していた。
住所: 京都府京都市東山区清水1-294
URL: http://www.kiyomizudera.or.jp/
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