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「湾岸戦争」 のテレビ露出情報

長野県諏訪市に住む報道写真家の石川文洋さんはカメラマン人生の集大成となる写真集を出すためにベトナム戦争の写真に整理をしていた。ベトナム戦争は1964年頃から南ベトナムと北ベトナムの間でおこなわれた戦争。アメリカが軍事介入し南ベトナムを支援し住民含む300万人以上が犠牲になったとされる。銃弾が飛び交う戦場せアメリカ軍の攻撃や北と南にわかれて戦うベトナム人同士、戦争に巻き込まれ犠牲になる住民の姿を写真に収めてきた。石川さんは今、自分の経験を若い世代に伝えることに力を入れている。この日は安曇野市の堀金中学校で講演会が行われた。まず話したのは命について。沖縄で生まれ、子供の頃に大阪、千葉に移り住んだ。太平洋戦争末期に故郷の沖縄では地上戦の舞台になった。人口の4人に1人が命を落としたこの戦いで祖父や親戚の多くを亡くした。カメラマンとして戦火のベトナムに入ったのは26歳のときで当時世界一周の旅の資金を稼ぐために勤めていた香港の写真スタジオから派遣された。死と隣り合わせの戦争の最前線について中学生たちに語った。戦争で目にする残忍な光景に生徒たちには衝撃的だった。
残酷な写真を撮影する理由に石川さんは戦争は笑い事ではないと答え、死体を見て笑っている写真はまだ優しい方だと答え、戦争になればそのような状態になると答えた。戦争報道はベトナム戦争をきっかけに大きく変化したという。 ベトナム戦争でアメリカは民主主義のための戦いを掲げ、最前線での自由な取材を許していた。しかし映像や写真によって戦地の惨状や住民への残虐な行為、アメリカ兵の犠牲の多さが公になると次第にアメリカの世論は反戦へと向かうように。1973年にはアメリカはベトナムから撤退し、北ベトナムとの戦いに敗れた。1991年の湾岸戦争でアメリカはディーバー・システムという攻防体制を導入。メディアの前線取材を制限しピンポイント爆撃などの戦況映像を大量に提供した。そうすることで市民も自国の兵士も犠牲にならない近代的な戦争と印象付けてセンチの具体的な様子を伝わらないようにした。空爆精密誘導兵器は8%。それ以外が無誘導爆弾だった。石川さんは戦争の姿が伝わりにくくなっている今こそ写真がもつ力を信じている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月28日放送 7:30 - 8:55 フジテレビ
日曜報道 THE PRIME(ニュース)
緑色の画面の中で踊っているのはハリス副大統領。こうした動画が今、急激にSNS上で拡散されている。きっかけとなったのが英国の人気ミュージシャン・チャーリーXCXさんのツイート「kamala IS brat」。意味はパーティーが好きで時にはばかなことをしたり言ったりするちょっと情緒不安定なところもあるけどとても正直で率直な女性を表現しているとのこと。インフルエン[…続きを読む]

2024年3月31日放送 8:00 - 9:54 TBS
サンデーモーニング(エンディング)
関口宏さんが、自身が担当のサンデーモーニングは終了となるという。36年と6ヶ月。ありがとうございましたという。1987年が初回となった。1989年にはベルリンの壁崩壊のニュース。世界が大きく変わる予感があった。湾岸戦争もあった。1999年には大沢啓二さんが登場。2000年には張本勲さんが登場。2001年に同時多発テロが起きた。2011年に東日本大震災。202[…続きを読む]

2024年3月30日放送 18:30 - 20:54 テレビ朝日
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん後世に残したい!激アツ映像遺産2時間半SP
続いては重機部門。紹介してくれるのは重機博士ちゃんの葛田枇乃樹くんで紹介するのは消化に2年以上かかる火災を鎮火した「世界最強消防車」。湾岸戦争の時イラク軍がクウェートの油田に放火した。そこで活躍したのが「ビッグ・ウィンド」。車輪は戦車のクローラーで戦闘機のジェットエンジンが取り付けられており、そこから1秒間に約100リットルの水が噴射し時速1200kmで消火[…続きを読む]

2024年2月24日放送 5:30 - 6:00 フジテレビ
週刊フジテレビ批評The批評対談
ゲストの大森淳郎、武田徹を紹介。【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】のタイトルにある報国の意味について大森は、当時の放送スローガンは放送報国であり放送をもって国に報いるであり、太平洋戦争開戦の朝には当時の日本放送協会会長が職員を集めて訓示していたなどと伝えた。【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】を3ポイントに要点をまとめて紹介。ポイント「太平洋戦争の報道[…続きを読む]

2024年1月22日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1908年。アメリカの飛行家・ライト兄弟のニュースをあるイギリスの若者が眺めていた。彼の名はウィンストン・チャーチル。「将来の戦いでは飛行機が重要になる」と直感したチャーチルは、自ら操縦桿を握って大空へと飛び立つほど飛行機の虜になった。それから3年後、36歳で海軍大臣に任命されたチャーチルは、その先見性を活かしてイギリス海軍の大改革に着手。イギリス海軍と建艦[…続きを読む]

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