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「炭疽菌」 のテレビ露出情報

1918年3月4日、カンザス州のファストン基地から全ては始まった。1人の兵士が原因不明の高熱で倒れたのを皮切りに、瞬く間に1000人以上が同じ病に感染し48人が死亡する。この病は未知のインフルエンザウイルスによって引き起こされるもので、基地のほとりにあった湖に訪れるカナダガンのウイルスが軍で飼われていた豚を経由して人に感染したものだった。当時は第一次世界大戦の只中で、欧州の戦場に出征した兵士を介して感染は世界に拡大していく。兵士を運ぶ輸送船の一隻、「リバイアサン」の船内では2000人が感染する大惨事が発生したという。
アメリカ兵たちが上陸したフランス西部の港町、ブレストを起点としてウイルスは欧州へと上陸する。アメリカ兵たちが向かった西部戦線では兵士たちは劣悪な衛生環境での塹壕戦を強いられており、その最中でウイルスは猛威を振るいはじめた。最初の2ヶ月でフランスに駐留していた英軍兵士120万人が感染し、白兵戦を通じて敵国のドイツ兵もウイルスの軍門に下った。戦場で大流行したこの病の存在は軍事機密とされたが、中立国であったスペインのマドリードで8万人が感染するにあたって世界中に知れ渡ることとなり、「スペイン風邪」と呼ばれるようになる。大流行したスペイン風邪はアルフォンソ13世やエドヴァルド・ムンク、グスタフ・クリムトといった著名人にも容赦なく襲いかかり、クリムトはこれが原因で命を落とすことになった。
ウイルスは欧州の戦場から母国に戻る兵士を通じてアジアへ渡り、イギリスの植民地であったインドでは1700万人が死亡する。日本でも軍の施設を震源地とした大流行が発生し、39万人が亡くなった。芥川龍之介も感染したうちの1人で、一命はとりとめたものの重い症状に苦しめられた。
そして、最も状況が悪化していたアメリカでは多くの人がマスクを着用して出歩くようになり、握手の習慣も改めるよう推奨された。各都市の状況は感染対策によってくっきりと明暗が分かれ、市内全域に外出禁止令を発出したセントルイスでは死亡率を0.3%に抑えることに成功。一方、フィラデルフィアは「スペイン風邪は市民にいかなる脅威ももたらしていない」として戦時公債の購買パレードを強行。これにより街では爆発的な感染が起こり、1週間で700人が死亡する大惨事を招いた。この危機に対処したのがペンシルベニア大学附属病院で、不足した医師に代わり医学生も動員して治療にあたったという。しかし、その努力も実らずフィラデルフィアの最終的な感染者数は5万9000人以上を数え、全米で最も大きな被害を出すことになってしまった。
1918年11月11日に第一次世界大戦は連合国の勝利によって集結し、フランスのパリにてドイツの講和条件を決める会議が行われることになった。当時のアメリカ大統領であったウィルソンは「過酷な要求は次の戦争の火種になる」としてドイツに多額の賠償金を科すことに反対していたが、英仏はこれに真っ向から反対し巨額の賠償金を求めていた。そんな折、交渉の山場で会議をリードする英・仏・米のリーダーたちが相次いでスペイン風邪に感染してしまう。中でも重い症状に苦しんだのがウィルソンで、体力を消耗した彼は会議の主導を英仏に任せることになる。その結果、講和条約は英仏の主張通りドイツに巨額の賠償金を科すものとして纏められた。こうして多方面に影響を与えたスペイン風邪は世界で5億人が感染し、その結果として人類は集団免疫を獲得。「恐怖の病」はようやく終息したが、講和条約で巨額の賠償金を科せられたドイツでは貧困と飢え、連合国への復讐心が蔓延し始める。それはドイツの新たなリーダー、アドルフ・ヒトラーという男を生み出す原動力となり、新たな恐怖の誕生へと繋がっていった。
1930年代になると、従来よりも遥かに小さなものを見ることができる電子顕微鏡が誕生する。これによりスペイン風邪の原因となったインフルエンザウイルスが発見され、ワクチンの開発がスタートした。鶏卵で弱毒化したウイルスを培養するというワクチンの開発法は様々な病に応用され、人類はウイルスや細菌をコントロールする力を手に入れた。しかし、その力は1939年に勃発した第二次世界大戦で生物兵器の開発へと注ぎ込まれることになる。戦時中、イギリス軍は無人島で90%以上の致死率を誇る「炭疽菌」を詰め込んだ爆弾を炸裂させる実験を繰り返したという。
戦争の終結後も人類と感染症の戦いは続き、コレラやポリオ、腸チフスといった病原菌とワクチンのいたちごっこが繰り返された。この感染症との戦いにおいて最前線となったのが、かつてスペイン風邪と壮絶な戦いを展開したペンシルベニア大学だ。かつての苦闘を活かして世界屈指の感染症研究機関となった同大学はB型肝炎やポリオ、エイズのウイルス研究で世界最高水準の結果を残していく。そして、1989年にこの大学の門を叩いたのが母国で研究を打ち切られ、失職した生化学者のカタリン・カリコだった。
一方、生物兵器という負の歴史は冷戦下にあって勢いを増していく。1969年にはアメリカのニクソン大統領が「予測不可能で制御不能な被害をもたらす」として開発中止を呼びかけたが、現在も多くの国が生物兵器の開発を続けているのが現状だ。
スペイン風邪の流行から100年を経た2019年12月、中国の武漢市から新たな感染が起こった。「新型コロナウイルス」と呼ばれるそれは瞬く間に世界中へ拡散し、人類は有効な手立てを打てぬまま100年前と同じ光景を繰り返すことになる。そんな中で光明となったのが、100年前にスペイン風邪を相手に奮闘したペンシルベニア大学が開発したワクチン。開発のカギを握ったのは、あのカリコ氏だった。彼女の専門はmRNAという遺伝情報で、これを使い未知のウイルスも対応できるワクチン開発に備えてきたことが功を奏したのだ。2020年の12月にはmRNAワクチンの使用がアメリカ政府によって許可され、ワクチンが世界に届けられた。カリコ氏は後に、「スペイン風邪が蔓延した100年前から続く経験と発見、かつてのペンシルベニア大学の経験がなければ私たちはワクチンを得られなかった。私たちは100年前のスペイン風邪が以下に深刻で、ウイルスが致命的であったかということを知っている。今後、新たなパンデミックに襲われても世界中で知恵を出し合い、果敢に立ち向かっていかなければなりません」と語っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月17日放送 20:00 - 20:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!(池上流 夏のニューストリビア)
夏が暑いと景気が良くなると言われている。暑いと冷たいものをとりすぎてお腹を壊す人が増え、胃腸薬が売れるという。正露丸は8月が最も売れる。さらに冷たいものを食べて知覚過敏になる人が出るため、歯磨き粉も暑くなると売れる。ガスを使わないため惣菜が売れたり、暑さを避けるためタクシー利用が増えるなど暑さは景気にプラスと言われている。ただ暑すぎると外出を控えるため消費が[…続きを読む]

2023年12月10日放送 7:00 - 7:40 NHK総合
NHKニュース おはよう日本1.5℃の約束
永久凍土の中はどうなっているのか。アメリカ軍が研究のために掘って作った研究施設。トンネルでは約1万年~4万年前の様子を見ることができる。永久凍土の大部分は凍って固まった土で有機物が沢山含まれている。トンネルの壁には動物の骨や草。永久凍土は大昔の生き物を閉じ込めるタイムカプセルのような役割を果たしている。更には永久凍土の中に閉じ込められた氷の層。こうした氷の中[…続きを読む]

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