戦時中、日本の占領下にあった旧満州。終戦間際、2800人を超える日本人の子どもたちが孤児となった。鹿児島市の中村さんは、30年前、中国人の夫に先立たれ、ひとりで暮らしている。日本語はほとんど話せない。3歳で満州に渡り、中心都市の瀋陽で両親らと暮らしていた中村さん。翌年、日本は敗戦。中村さんは、知らない男性に預けられ、両親と別れたという。マイナス30℃の極寒で、手足はただれた。男性に追い出され、中村さんは中国人の家庭を転々とし、日本人は侵略者とみなされ、差別や暴力も受けた。5歳くらいのころ、子どものいない中国人養父母と出会った。4か所目の家庭だった。養父母は、中村さんを李桂和と名付け、小学校に通うこともできた。日中国交正常化をきっかけに、孤児の身元調査が進展。中村さんの両親の手がかりは見つからなかったものの、48歳で帰国し、身元引受人がいる鹿児島市で暮らすことにした。中村さんは、再び戦争が起きたら、一番苦しむのは日中の国民、私にとって、中国も日本も故郷などと話した。
