狩野宗眼重信が襖絵を描き始めた頃を仮に1612年として話を進めると、戦国時代に消失した城郭や有力寺院などの建築ラッシュだったこの時期に、狩野派にも多くの依頼が舞い込んでいたが、当時の狩野派はお家事情に、狩野派トップの狩野光信が44歳で他界。その息子の貞信は16歳、探幽も11歳だった。一族経営の狩野派は血筋の人間の多くが若く発展途上にあり、危機的状況を迎えていた。そんな折に家康の命で始まった多武峰 学頭屋敷プロジェクトだった。狩野宗眼重信は血筋外の人間だが番頭格の実力者でこの仕事に恵まれた。
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