行き場を失った吉岡家は宮城県栗原市へ。頼ったのはたによの実家の寺。たによは寺の娘として育った。寺を守る親戚は当時一家が暮らしていた場所を案内したがそこは味噌などを保管していた物置に親子7人で身を寄せ合っていたという。家業を花屋でしか働いた経験のない正雄は役場に勤めるが長続きはしなかった。田舎の土地にも馴染めずに心労から胃潰瘍になり入院した。一家の暮らしはたによにかかっていた。家の裏に畑を開梱し、栗を拾って家族で食べられるものは何でも集めた。それでも暮らしは厳しいものだったという。
住所: 宮城県栗原市高清水若宮103