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「田中角栄」 のテレビ露出情報

有志の会 福島伸享氏の質疑。福島氏は選挙制度について「この30年間小選挙区比例代表制のもとでどういった問題が生じているのか、日本の政治はどうなっているのか、どこを問題であると思うから総理はこのように何度も選挙制度改革を訴えておられるのか、その認識について総理に教えていただきたい」など質問。石破総理は「中選挙区で選挙をやったことのある人はもうこの衆議院ではいないと思う。私は中選挙区で3回、小選挙区で10回。私は小選挙区にしなきゃだめだと思ったのは同じ自民党で戦うのでたとえば私は自民党であるが憲法改正反対であるとか、私は自民党であるが消費税導入には反対であるとか、つまり同じ党なのに違うことを言っているのが許されて良いのかという問題が意識の根幹にあった。お金がかかるというのもあったが、それはもっと帰省を厳しくすれば多分なくなるもんだいだと思っている。小泉純一郎先生が厚労相を終えられたばかりのころだったが、この制度を入れると党本部と首相官邸の言うことしか聞かない議員になってそれでいいのかと言われて私はそういうことはないと反論したが、君は人間というものを知らないと一喝された。有権者がこうだと思って一票入れたのにそれと違う行動をすることは主権者に対してはかなり乖離をまねく」など答弁。福島氏は「いまは世界的に多党制の時代となっている」など指摘。石破総理は「仕組みとして二大政党に収れんすると考えたのは間違っていた。そのへんは認めて改善しなければならない」など答弁。
志の会 福島伸享氏の質疑。福島氏は質問について「中速鉄道を常磐線に走らせた場合。常磐線で水戸から東京まで1時間を切る。根本的に地理条件がかわる。そういうところは多くある。総理は中速鉄道高速についてどのような認識をもっているか」など質問。石破総理は「北海道新幹線が札幌まで行って、九州新幹線が完成してその後に次の新幹線計画に入る、そうすると何年とは言わないが、相当先のことになる。日本の鉄道についてはさらによく探求すべきところと考えている」など答弁。福島氏は「令和の列島改造のために予算の仕組みも変える、鉄道の仕組みも変える。そうした根本知的な令和の列島改造にふさわしいことをやろう大きな旗を掲げるなら我々は協力をする」など指摘。石破総理は「中速鉄道については、諸問題をつめていきたいと思う」など答弁。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年11月23日放送 20:56 - 22:15 テレビ朝日
有働Times(ニュース)
南アフリカで行われているG20サミット。高市総理と李強首相はきょうも接触はなかった。中国外務省は南アフリカ大統領と李強氏の会談で「台湾は中国の領土の不可分の一部」と強調したと発表。王毅外相はタジキスタンでの会談で日本を名指しで批判している。日中共同声明が出されたのは1972年。日中共同声明について当時の日本政府は「十分理解し尊重する」としている。専門家は「法[…続きを読む]

2025年11月23日放送 9:00 - 10:00 NHK総合
日曜討論第2部 徹底分析高市政権の経済政策
責任ある積極財政と掲げる高市政権が重視しているのが将来性ある分野への投資の拡大。政府は成長戦略本部を設置し、AIや造船、防衛産業など17の戦略分野と複数の分野にまたがる8つの課題ごとに担当閣僚を指定。来年夏までに新たな成長戦略策定へ検討を指示している。平野が注目している戦略分野は、マーケットの成長率の観点から見てAIが特に重要と述べた。小黒は、意欲的であり過[…続きを読む]

2025年11月20日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
明治初頭に日本初の鉄道が開通して、銀座は東京の新たな玄関口にり、最新の西洋文化が流れ込んで資生堂や木村家らが店を構えるようになった。銀座にある服部時計店の服部金太郎は31歳の頃に国産時計の製造に着手して大量生産に成功した。しかし大正12年に関東大震災があり、 銀座はほぼ全域が消失した。しかし銀座はそこから大胆に生まれ変わり、銀座通りの店も早々に店を開いた。震[…続きを読む]

2025年11月19日放送 19:00 - 20:54 TBS
世界くらべてみたら萌音ちゃん16年ぶり里帰りSP
上白石萌音が第二の故郷メキシコに里帰り。小学3年生からの3年間、メキシコで過ごしたという。出版関係の仕事でメキシコへ行くことになり、世界くらべてみたらも便乗。
上白石は16年ぶりに母校へ。1977年、日本人駐在員家族のために開校。田中角栄元首相が設立に尽力した。現在も140人の日本人生徒が通っている。音楽室は思い出深いという。

2025年11月13日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
徹子&純次&良純の世界衝撃映像の会(パンダ初来日の裏側)
1972年に日中国交正常化が実現。当時の上野動物園飼育課長の中川志郎は、内閣官房長官の二階堂進に首相官邸に呼び出され、中国から来る2頭のパンダを絶対に死なせないでほしいと要請された。2週間かけて集まった資料は3冊だけで、日本語の本は一冊もなかった。情報も経験もない状態でパンダ来日を迎えた。来日したとき上野動物園には黒柳も撮影を抜け出して見学に来ていた。高級な[…続きを読む]

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