1949年~1953年に初代・宮内庁長官の田島道治氏が、昭和天皇に面会した歳の指摘メモ「拝謁記」を紹介。1928年6月、中国・東北部のトップの張作霖氏が勢力拡大を狙う日本陸軍・関東軍の一部に爆殺された「張作霖爆殺事件」について、昭和天皇はこのときの対応の誤りが戦争のきっかけになったと考えていたという。張作霖爆殺事件の3年後には満州事変が起こり、日本は国際的に孤立する。そして、日中戦争・日米開戦と突き進み、敗戦への道を辿る。事件当時、日本陸軍・関東軍は張作霖氏爆殺の関与を認めず、処分された者はいなかった。昭和天皇は、即位間もない27歳で、事件をきっかけに軍をコントロールすることができなくなっていった。日本大学の古川隆久教授は「張作霖爆殺事件そのものでは、広い意味での国際関係。例えば日米関係とか日英関係が悪化しているわけではない。(事件は)直接の原因ではなくて、その後に(戦争を)回避できるチャンスは色々あった」などと話している。
