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「白鳥の死」 のテレビ露出情報

吉岡には気になる伯父がいる。母・明子さんの兄・正一さん。医師を志していたが戦死を遂げる。その死は明子さんの心に深い悲しみを刻む。正一さんは末っ子の明子さんを誰よりも可愛がってくれたという。洋画とロシア文学が好きだった正一さんは映画「白鳥の死」を繰り返し見ていた。昭和18年、京都大学医学部に進学する。長男が自分と同じ医学を志すことに竹三郎さんは喜びを感じていた。しかし日本の戦局が悪化するなか、海軍予備学生に志願する。そして海軍少尉となり海上護衛隊に配属された。乗り込んだのは海防艦。内地へ石油を運ぶためのタンカー船などを防衛する船だった。当時、フィリピンが占領され日本は制空権を失っていた。危険な状況下でレーダーを駆使し米軍の潜水艦や船をみつけることが任務だった。移動するたび竹三郎さんは家族を連れ日本中の軍港を回った。昭和17年12月、正一さんは海防艦「昭南」に乗艦し無事、シンガポールに到着した。2月18日、石油を積んだタンカーを護送しシンガポールを出発し内地への帰路についた。そして25日未明、南シナ海でアメリカ軍の魚雷攻撃を受け217名が戦死。中澤正一さんは24歳の若さで命を落とした。正一さんを失った竹三郎さんの悲しみは深いものだった。長女・次男の病死に続き3人目の我が子の死だった。そして不幸は重なり竹三郎さんの歯科医院は尼崎の空襲で全焼した。失意の中、竹三郎さんは一家で幼少期を過ごした赤穂に移り住み歯科医院を始めた。残された2人の存在が竹三郎さんの心の支えとなった。

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