日本では3~7世紀にかけて作られていた前方後円墳が韓国南西部でも確認されている。発掘調査で副葬品も見つかっていて、装飾から古代日本で流行していたものとされる。かつて、韓国南西部を支配していたのが百済で、6世紀に即位した聖王は外交を重視。日本に仏教がもたらされ、ヤマト政権が国を1つにまとめようとしていた。660年、朝鮮半島へ進出を狙う唐が新羅と連携し、百済に進撃した。宮女は崖から身投げしたといい、百済は滅亡に至った。
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