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「知覧特攻平和会館」 のテレビ露出情報

アップダウンは一風変わった漫才をしている。漫才で戦争を扱っているが北海道出身の2人が頼まれたのは北方領土漫才。これまで無関心だった歴史。初めて真剣に向き合った。 その北方領土の漫才を依頼したのは千島連盟。若い人に関心を持ってほしいと言う願いがあるという。元島民が多く暮らす羅臼町の伊藤さんは10歳のときに国後島で暮らしていた。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方領土は、1945年に旧ソ連軍が侵攻され、1万7000人がふるさとをおわれた。伊藤さんは旧ソ連兵が自宅に押し入っていたことを今も鮮明に覚えている。そうした話をきいてどう漫才に落とし込むか?全てが手探り。
23歳で上京したアップダウン。3年前に事務所から独立し今は実家がある札幌から行き来し、全国をまわる。長崎で披露したのは原爆体験伝承漫才。笑いを与える舞台だがなぜこうした活動を始めたのか?高校1年の時にコンビを組んだ2人。阿部さんが竹森さんを誘い、コンビ名は札幌月寒高校の教室で生まれた。高校卒業とともに吉本興業に所属。東京の番組にすぐにレギュラー出演した。M-1グランプリでは準決勝に4回進んだ。しかし竹森さんは悩み続けていた。しかし大きな転機となった場所は鹿児島県にある知覧特攻平和会館。第2次世界対戦の末期に、旧日本軍が行った特攻作戦。戦闘機で敵の戦艦に体当たりするなどし、特攻隊員6000人が戦死した。彼らの存在、想いに触れて人生が変わった。今度は竹森さんが阿部さんを説得し特攻隊の芝居を行うように。お笑い芸人として王道を進みたいと思っていた阿部さん。当初は戦争をテーマにすることには反対だった。前例のない北方領土の漫才。元住民への取材を重ねた。中村勝さんは歯舞群島出身。話を聞いてアップダウンはどう漫才に落とし込むかを考えた。
北方領土漫才を制作を依頼した千島連盟が行ったアンケート。漫才にすることを心配する声がよせられていた。初披露まで2週間となった。
住所: 鹿児島県南九州市知覧町郡17881

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月8日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
知覧特攻平和会館では戦場に散った若い特攻隊員たちの遺影が並ぶ。多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県。曽於市の岩川という街にも基地があった。芙蓉部隊は静岡で結成し岩川に拠点を置いた。教員だった前田さんは戦争の歴史を伝えたいと定年を迎えた夫とともに全国にいる芙蓉部隊の元隊員や遺族を探し始めた。元芙蓉部隊隊員の山本さんは航空機の整備を担当していた。芙蓉部隊は夜間攻撃[…続きを読む]

2025年9月1日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンNEWS日替わりプレート
戦後80年、日本とアメリカの戦争の歴史を踏まえたうえで、これからの未来に向けて平和の大切さを訴えようとする取り組みについて伝える。アメリカ・ハワイの真珠湾にある戦艦ミズーリは退役して記念館として活用されている。戦艦ミズーリは沖縄戦で旧日本軍の特攻機による攻撃を受けたことや、1945年9月2日に船上で降伏文書への調印式が行われたことで知られている。ハワイ・真珠[…続きを読む]

2025年8月17日放送 17:30 - 18:00 テレビ朝日
ANNスーパーJチャンネル(ニュース)
太平洋戦争の特攻作戦で婚約者を亡くした女性。生前のインタビュー映像が親族に特別に公開された。遺書を受け取った婚約者の遺族・妻木さん。遺書には婚約者へ「自分のことは忘れてほしい」と書かれていた。生前の伊達智恵子さんは「そういう時代によってもみくちゃにされた国民というのがいてどうにもならなかった時代があって、今この平和があるということ」と言葉を残している。映像を[…続きを読む]

2025年8月16日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
鹿児島県の資料館に飾られた古い肖像画。出撃前 振武隊特攻隊員勝又少尉というタイトルである有名な言葉を残した特攻隊員のもの。この絵は一度ある女性の手元に渡っていたが、それを打ち明けたことがあった。十死零生は生きて帰ることのない突入攻撃のこと。太平洋戦争中に特攻で命を落とした人は6371人。鹿児島県旧知覧町には陸軍最大の特攻基地があった。ホタル館 富屋食堂は戦時[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
1945年3月26日、沖縄航空特攻作戦が始まり死者は約2600人に上った。知覧特攻平和会館には陸軍特別攻撃隊の戦死者1036人の遺影が収められている。当時、鹿児島・知覧で食堂を営んでいた鳥濱トメさんは隊員たちからお母さんと親しまれた。1978年放送の番組で脳裏に焼き付いて離れない隊員たちとの別れの時を語っている。

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