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「知覧特攻平和会館」 のテレビ露出情報

鹿児島県の資料館に飾られた古い肖像画。出撃前 振武隊特攻隊員勝又少尉というタイトルである有名な言葉を残した特攻隊員のもの。この絵は一度ある女性の手元に渡っていたが、それを打ち明けたことがあった。十死零生は生きて帰ることのない突入攻撃のこと。太平洋戦争中に特攻で命を落とした人は6371人。鹿児島県旧知覧町には陸軍最大の特攻基地があった。ホタル館 富屋食堂は戦時中に陸軍の指定食堂で特攻隊員に愛された店だったという。隊員を息子のようにかわいがっていたのは女将の鳥濱トメさん。トメさんが晩年思い入れを語っていたのは肖像画のモデルの勝又勝雄さん。勝又さんが特攻隊員となったのは22歳のとき。別れ際の言葉はトメさんの心にいつまでも残ったというが、自分の命をあげるのでその分長生きしてほしいという言葉だった。1945年の5月4日に知覧から出撃。それから80年近く、額縁におさまって、勝又さんは富屋食堂に帰ってきた。絵を寄贈したのは東京の会社役員の調所さん。勝又さんとは血の繋がりも、なにもない。彼は江戸時代薩摩藩家老の調所広郷の末裔。24年前に先祖のお墓を東京から鹿児島から里帰りさせた。この法事の日がすべての始まりだった。列席していた大叔母が頼み事をしてきたという。
大叔母の知覧の特攻平和会館に連れて行ってほしいという言葉についていくと、そこで勝又勝雄さんの遺書を発見し泣いていたという。想い人だった話していたと語った。そのわずか1月後、鹿児島市の気になった骨董屋に入ったという調所さん。そこに勝又勝雄さんの肖像画があったという。すぐに大叔母に報告し、調所さんの手元にわたったという。この肖像画は昭和20年5月に書かれたとされ、濱田羊という画家のサインがあった。店主によると絵は解体業者から買い取ったもので、出所不明で謎が多い油絵。京都大学の田口かおり准教授のチームに調査を依頼。額縁を慎重に外すと、その中には木の板があり、額縁で隠れていた部分に文字を発見したが、絵を描いた日付を示すものか、裏側に描かれたものと符合するものだった。濱田羊という名前の画家を調べると手がかりが見つかった。戦時中に掲載された新聞で画家濱田羊の署名入り記事があった。記事の掲載日は1945年の5月29日。肖像画に記されていたのも5月で同じ。題名の通り出撃前を描いていたとされる。勝又さんの最後を文章でも伝えようとしていた。最後の時を描きとめた絵は大叔母の久美子さんのもとにわたり、無くなるまで絵を愛おしそうに眺めていたという
彼女が知覧を訪れたのは戦後に結ばれた夫の死後、十数年経過してからだという。若かった頃の想い人を見つけたものの、多くは語らずにこの世を去った。勝又さんと同じ特効部隊で仲良しだったのは佐藤利男さん。佐藤さんには思いをよせた女性がいて、甥のゆりはじめさんは遺品の中に知らない女性の写真が入っていたという。ゆりさんは写真の女性と会うことができた。女性は佐藤さんが打ち明けていた本音を教えてくれたが死にたくないと話していたという。特攻作戦に命を捧げた人の多くは、10代後半から20代前半。それぞれ愛する人がいたという。その足跡をたどるのは妻木尚美をさん。叔母に宛てた婚約者の手紙をみていた。妻木さんの母にも戦時中に婚約者がいた。大事に保管していた写真には黒岩義彦さんの姿が。黒岩義彦さんは陸軍のパイロットだった。黒岩さんは訓練中の事故で亡くなったという。調所一郎さんは肖像画がもたらした縁をたどり、勝又さんの遺族を訪ねた。
住所: 鹿児島県南九州市知覧町郡17881

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月8日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
知覧特攻平和会館では戦場に散った若い特攻隊員たちの遺影が並ぶ。多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県。曽於市の岩川という街にも基地があった。芙蓉部隊は静岡で結成し岩川に拠点を置いた。教員だった前田さんは戦争の歴史を伝えたいと定年を迎えた夫とともに全国にいる芙蓉部隊の元隊員や遺族を探し始めた。元芙蓉部隊隊員の山本さんは航空機の整備を担当していた。芙蓉部隊は夜間攻撃[…続きを読む]

2025年8月17日放送 17:30 - 18:00 テレビ朝日
ANNスーパーJチャンネル(ニュース)
太平洋戦争の特攻作戦で婚約者を亡くした女性。生前のインタビュー映像が親族に特別に公開された。遺書を受け取った婚約者の遺族・妻木さん。遺書には婚約者へ「自分のことは忘れてほしい」と書かれていた。生前の伊達智恵子さんは「そういう時代によってもみくちゃにされた国民というのがいてどうにもならなかった時代があって、今この平和があるということ」と言葉を残している。映像を[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
1945年3月26日、沖縄航空特攻作戦が始まり死者は約2600人に上った。知覧特攻平和会館には陸軍特別攻撃隊の戦死者1036人の遺影が収められている。当時、鹿児島・知覧で食堂を営んでいた鳥濱トメさんは隊員たちからお母さんと親しまれた。1978年放送の番組で脳裏に焼き付いて離れない隊員たちとの別れの時を語っている。

2025年8月8日放送 8:14 - 9:50 フジテレビ
サン!シャインどこよりも早く1週間を総まとめ!サン!シャイン的「未読ニュース」
1945年の3月26日から8月11日にかけて行われた沖縄航空特攻作戦を巡っては、約2600人の命が失われた。特攻で命をなくした穴澤利夫少尉は婚約者に手紙を宛てていて「あなたの幸せを希ふ以外に 何物もない」とあった。手紙を受け取った婚約者の伊達智恵子さんは唯一の遺品となった煙草の吸殻を大切に保管する様子を見せていた。

2025年7月26日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
アップダウンは一風変わった漫才をしている。漫才で戦争を扱っているが北海道出身の2人が頼まれたのは北方領土漫才。これまで無関心だった歴史。初めて真剣に向き合った。 その北方領土の漫才を依頼したのは千島連盟。若い人に関心を持ってほしいと言う願いがあるという。元島民が多く暮らす羅臼町の伊藤さんは10歳のときに国後島で暮らしていた。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島か[…続きを読む]

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