ヤマト王権は東アジアの動乱に巻き込まれ、重大な危機に直面していた。朝鮮半島では高句麗が勢力を拡大し新羅や加耶を圧迫。倭国と同盟を結ぶ百済を脅かしており、倭王・讃がこの危機に立ち向かった。石上神宮に伝わる七支刀には「百済」「倭王」の文字が記されていた。百済の王が倭国の王に救援を求める際に贈ったものと言われている。高句麗・広開土王の碑には倭国との熾烈な戦いが記されていた。当時倭国では鉄がとれず朝鮮半島からの輸入に頼っていたが、高句麗の勢力拡大によって産地が脅かされて危機に直面。鉄資源が確保できなければ権力の基盤を維持できないおそれがあったため、倭王・讃は存亡をかけて東アジアの動乱に身を投じた。
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