太平洋戦争では若いスポーツ選手の多くも犠牲になった。このうち野球選手を中心に見ていく。夏の甲子園に出場した選手も犠牲になった。昭和11年に優勝した岐阜商業の選手14人のうち5人が戦死している。エース・松井栄造投手は春夏合わせて3回優勝に導き、1メートル近い落差のカーブを武器にしていたが、24歳で戦死。親交のあった作家への手紙からは、大好きな野球を思い戦地で気丈に文章を残した心情が見て取れる。東京ドームのそばにある碑には、戦死したプロ野球選手76人の名前が刻まれ、沢村栄治投手の名前もある。沢村投手は大リーグからも誘いがあり、日米野球の2年後には日本にもプロ野球が誕生した。野球に限らず、オリンピックに出場した選手も約40人が犠牲になっている。小澤解説委員は、スポーツの視点からも平和の大切さについて改めて考えてほしいとまとめた。