99年に発売されたネプチューンの「明日に向かって走れ!」で、パパイヤ鈴木はMVの振付を担当。大内登のアフロに火が燃え移るなどのNGがあったが、名倉潤はダンスでNGを出すことはなかったという。また、秋元康からのオーダーでパパイヤ鈴木は「恋するフォーチュンクッキー」の振付を手がけた。パパイヤは「全部、ソウルのステップ」と話す。2000年、テレビ東京の深夜番組「debuya」で、パパイヤは石塚英彦らと日本各地の飲食店を巡った。当初、振付師としてのオファーだけだったが、100kgあった体型を買われ、起用されたという。
西城秀樹に憧れていたパパイヤ鈴木は17歳でレコードをリリースするも、泣かず飛ばずだった。20歳の頃から振付師、ダンス指導の仕事を始め、高校生だった渡辺満里奈にタップを指導したこともあった。名倉は「奥さん、いまだにタップやってます」と明かした。パパイヤが出演した「debuya」は深夜からゴールデンに進出し、「まいう~」は話題となった。言い出したのはカワイ麻弓というタレントで、造語ではなく業界用語として浸透していた。「debuya」は08年に放送終了となり、4年後、パパイヤ鈴木は家族を連れて沖縄へ移住した。都内の学校に進学した娘に合わせて東京へ引っ越し、沖縄を行き来しているという。
西城秀樹に憧れていたパパイヤ鈴木は17歳でレコードをリリースするも、泣かず飛ばずだった。20歳の頃から振付師、ダンス指導の仕事を始め、高校生だった渡辺満里奈にタップを指導したこともあった。名倉は「奥さん、いまだにタップやってます」と明かした。パパイヤが出演した「debuya」は深夜からゴールデンに進出し、「まいう~」は話題となった。言い出したのはカワイ麻弓というタレントで、造語ではなく業界用語として浸透していた。「debuya」は08年に放送終了となり、4年後、パパイヤ鈴木は家族を連れて沖縄へ移住した。都内の学校に進学した娘に合わせて東京へ引っ越し、沖縄を行き来しているという。