福山雅治はデビュー当時、社会経験は乏しく、作曲、編曲、作詞のスキルも高くないなか、社会課題と向き合った楽曲をつくっても聴いてくれないと思っていたという。また、被爆クスノキをテーマにした楽曲を生み出す上で、戦争、原爆などに触れないわけにはいかず、頭を悩ませていた。その後、地球上の絶滅危惧種と出会ったことで、被爆クスノキの目線にした楽曲ならばできるかもしれないと思い至った。福山は「24年かかるべき歌だったと思う」と語った。福山は高校時代、父をガンで亡くしている。原爆病院で入院する父を前に無力感を覚え、病院の近くにあった神社の被爆クスノキのもとに足を運んでいたという。