- 出演者
- 桑子真帆 福山雅治
長崎出身の福山雅治がスタジオに登場。福山が制作した楽曲「クスノキ」が被爆80年の今年、長崎平和記念式典で小学生たちによって歌われることになった。11年前に発表され、平和の歌と呼ばれてきた。
福山雅治は「クスノキ」が長崎平和記念式典で歌われることについて、全く想像だにしなかったという。また、夏休みの宿題で祖父母に戦争体験を聞くなどし、音楽で社会課題を扱うのは”マスト”という勝手な使命感を抱いていたという。
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、同年だけで約7万4000人が命を落とした。爆心地から1km以内にいた人はほぼ即死。3km離れた場所に福山雅治の父、祖母がいた。800mの地点にあったのが山王神社。境内のクスノキは焼き尽くされたが、芽吹き、今では高さ約20mの大木となった。長崎の人々にとって希望、平和の象徴だという。森田博満氏(90)は10歳の時に被爆し、高校卒業後に上京。被爆者というレッテルを貼られたという。老いた両親の面倒を見るために帰郷すると、繁茂する被爆クスノキに励まされた。福山は大木を目にすると、感じていることがちっぽけに思えたという。デビューアルバムには長崎を描いた歌「PEACE IN THE PARK」が収録されているが、売れ行きは芳しくなかったという。
2011年、番組のナビゲーターとして福山は地球上の絶滅危惧種と出会い、人生観が大きく変わったという。その後、被爆クスノキの目線を描いた「クスノキ」を発表。
福山雅治はデビュー当時、社会経験は乏しく、作曲、編曲、作詞のスキルも高くないなか、社会課題と向き合った楽曲をつくっても聴いてくれないと思っていたという。また、被爆クスノキをテーマにした楽曲を生み出す上で、戦争、原爆などに触れないわけにはいかず、頭を悩ませていた。その後、地球上の絶滅危惧種と出会ったことで、被爆クスノキの目線にした楽曲ならばできるかもしれないと思い至った。福山は「24年かかるべき歌だったと思う」と語った。福山は高校時代、父をガンで亡くしている。原爆病院で入院する父を前に無力感を覚え、病院の近くにあった神社の被爆クスノキのもとに足を運んでいたという。
「クスノキ」は全国各地で歌われるなど、様々な広がりを見せている。福島・郡山市の中学校では「クスノキ」を題材に平和、命の尊さを考えている。同校の教諭である星美由紀さんは原発事故の際、2人の子供と避難生活を送った。「クスノキ」の歌に励まされたという。また、被爆クスノキの種から苗木を育て、全国に植樹する活動も行われている。また、福山は今年、「クスノキ」の新たなアレンジに挑んだ。
福山は「クスノキより長く生きるかもしれない」と音楽の力に言及した。爆心地に近い2つの小学校の児童たちが平和記念式典で「クスノキ」を歌う。今、練習が行われている。さらに、8月9日の夜、福山が市民5000人とともに「クスノキ」を熱唱する。