武田鉄矢は1979年6月13日に初登場。歌がヒットしたことで母親が有名になった。それを父親はひがんでいるという。父親に捧げた曲も作ったが、あまり売れなかった。「母に捧げるバラード」について、母親はリリース当初、家が貧しいことをなぜ歌ったのかと怒り、口論になったという。しかし、ヒットすると聴けば良い歌だと褒めたと話した。武田鉄矢は自分の中で悲しいことが起きた時、人には面白く聞かせてあげる自分でいたいと話した。妻は九州出身。各地の女性と付き合い、結婚を申し込んだりしたが、九州の女性が良かったという。辛い時期に妻から「あんたには才能がある」と言われ、頑張ることを決意した。芝居で悩んでいた時にはアドバイスをもらい、迷いがなくなったという。武田鉄矢は福岡教育大学、実習で耳が不自由な子どもたちの小学校へ行き、国語を担当した。教師人生の方が相応しかったのではと思う時もあるという。
